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儀式シリーズの最後は、お葬式としたいと思います。
これまで、聖餐式と洗礼、結婚式しましたので、割と人生のうちで大きなイベント一つである(残された家族にとってはかなり大きなイベントですねぇ。)お葬式のお話をしていきたいと思います。とはいえ、包括的なお話をすることはできませんが、これまでの信仰生活で経験してきたお葬式のお話をしたいと思います。
ブラザレンにとっては他のプロテスタントと同様、聖餐式と洗礼のみが聖書に定められた儀式なので、特にお葬式の決まりというのはないと思います。その意味で、結婚式と同様、お葬式も式自体はいろいろな形で行われます。それと、葬儀自体は、亡くなられた信徒さんのご家族のお気持ちもあるので、まずはご遺族のお気持ちを最優先にいたします。
まず、信徒さんがなくなられた、ということの一方が入ると、責任者がまず、亡くなられた方のところ(最近は病院が多い)にお伺いして、家族の方に、弔意というのか、哀悼の意を述べます。信者さんは、キリスト集会という神の家族の一員なので、やはり、亡くなられる方がいらっしゃると、責任者も、また、他のキリスト集会の関係者ももう、直接あって話したり、聞いたり、一緒に笑ったり、泣いたり、聖書のことを考えたりすることができない、という意味ではさびしいです。その意味で、職業的な弔意ではなくて、本当の弔意や哀悼の意だったりします。
やはり、キリスト教会(集会)は神の家族なので、本当に、なくなられた方が出たとき、というのはさびしいものです。
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はじめまして。私はブラザレンではなくて他のプロテスタントですが、このブログはとても参考になります。以前身内の葬儀を教会でした時「よい証になったね」と家族は満足していたけれど、後年仏教徒の親族が「牧師さんが、遺体を拝まないで下さいと注意したり、焼いた骨をぞんざいに扱ったり、ショックだった」と言ってました。遺族を慰めるためでもある葬式が、自己満足に終わっている可能性があるなあと思いました。
2008/12/4(木) 午後 6:25
さやかさん こんにちは。コメントどうもありがとうございました。
このブログが参考になっているならうれしいです。勝利主義はブラザレンだけではなくて、日本のプロテスタントに共通する傾向のように思います。
自分の信仰のスタイルを守るために、他者の霊性と言うのか、他者の信仰をあり方までも排除するのどうかなぁ、と思ってしまいます。とはいえ、自分達の信仰の表現は表現として大切にしたいですし。
2008/12/4(木) 午後 9:50 [ kaw*muk*ih ]