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結婚自体が聖書では祝福されるとされている、といってよいように思います。では、結婚するカップルが両方、同じキリスト集会(教会)の信者である場合、もっともお話はスムーズに進むと思います。それでも、いろいろ細かなところでの調整は必要なところがありますが、一番スムーズに進む場合が同じキリスト集会(教会)の信者同士の場合だと思います。とはいえ、信者同士での結婚とはいえ、信者の両親や親類縁者の皆さん方は、信者でないことも多いので、結婚にいたるまでの、理解や納得、関係各方面へのご説明は重要になるようです。
日本国憲法では、婚姻は両性の合意に基づく、となっているのですが、実際には、日本国憲法の文章よりも、これまでの日本の社会の中で形成されてきた『常識とされる』結婚観、婚姻観に加え、結婚するカップルの聖書理解や、そのカップルの関係者(特に両親や親戚)の婚姻感が結婚ということに関して、大きく影響する場合があるようです。これは、アフリカでもそうだ、と聞いたので日本固有の現象ではないようです。
ところで、誰の反対があっても結婚するのだ、という決意さえ固めてしまえば、極端な話、民法にのっとってしまえば、法律上、誰とどのようにいつ結婚しようが、キリスト集会はそれに関与する能力は全くありません。重婚とか、法律にまつわる諸問題がない限り、どこかの正統な国家における民法に基づいた結婚を誰も、無効とはいえないのが、日本の法律の原則だと思います。従って、日本国内においては、日本の民法に基づく結婚に対して、無効であるとキリスト集会やそこの信者が主張できないことは、厳然たる事実です。結婚後のそのカップルの所属キリスト集会(キリスト教会)の受け入れ環境(心理的、精神的、霊的、人間関係論的な受け入れ環境)を無視すれば、結婚相手は、本来制限はない、と考えても良いかもしれません。
しかし、法律的には、キリスト集会(キリスト教会)は結婚に関して関与する能力がないとしても、キリスト者は法律の世界だけで生きているわけではなく、神との関連性の中で生きており、神とともに、そして神と家族と共に過ごす家庭を形成する側面もあるので、信者同士の結婚が望ましいことは明らかだと、個人的には考えています。また、家族の考えも重要であるのと同様、キリスト集会(キリスト教会)やその構成員が、当たり前と考えている考え方も一定程度の配慮があったほうが良いのかもしれません。ただ、配慮であって、それ以上のものではないと思っています。
例えば、キリスト集会(キリスト教会)で伝統的にされてきたようなでの結婚式のスタイル(不必要に華美にならないとか、信徒の協力を求めるなど)や結婚をどのように進めていくのか、それまでの道のりについての考え方などを無視あるいは軽視した場合、信者に大きな傷を残すことがあります。その点で、慎重に検討していくほうが良いことは確かだと思います。
キリスト者にとって、具体的に地上に存在するキリスト者の集団(キリスト集会、キリスト教会)との関係は、その人の信仰生活の豊かさに大きく影響します。であるがゆえに、結婚後のキリスト者集団との関係性を今後どう築いていくのか、ということもキリスト者の婚姻を考える場合、無視しがたい要因になりやすいです。また、キリスト者集団(キリスト集会・キリスト教会)の側でも、結婚するカップルにどのように配慮(配慮であって、規則や規制ではない)をしていくのか、ということは、そのキリスト集会やキリスト教会にとっても、重要な側面になります。
とはいえ、もともとブラザレンは伝統とかを否定するところから始まったのですから、いつの間にか出来上がってしまった、あるキリスト集会での伝統に必要以上に縛られる必要性はないように思います。伝統を変えていくつもりで、責任者の方も、若い方も結婚式等、信仰とは本質的にあまり関係のない部分は、十分に相談しながら、ある程度自由に考えていってもらいたいなぁ、と思います。
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