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以下も個人的見解です。私の所属する教会の公式見解ではありません。
ただ、現実には、キリストを救い主として知らない信者以外の方と結婚することによって、キリスト集会(教会)に出席しにくくなったり、様々な生活文化の点での違いから、価値観の違いから、子育てや生活のあり方が違ってくることもあるので、実際に苦労される方、キリスト集会(教会)にでにくくなる方が多いこと、そして、共同体としての信仰の確認がないと、どうしても、人間は弱い葦でもあるので、なかなか信仰を成長させていくことができなくなり、信仰の成長が止まる方も少なくないように思います。だから、信者同士との結婚が勧められるわけです。
結婚を考える際には、信仰の共通性(キリストを夫婦そろって神と認めていること)は重要だと個人的には思います。個人的には同じブラザレンの信徒同士でなくても良いと思いますが。というのは、結婚というのは、一つのコミュニオン(霊的、あるいは精神的な共同体)を形成するわけです。そして、家族を形成するということは、家庭として、家族として来訪者(それは子供のことでもあるし、信者仲間であることもあるし、神を信じていない人の場合、神ご自身である場合もあります)を迎え入れる場所を形成するということがあるように思います。そのときに、聖書で言う神、キリストに対する信仰があるかどうかで来訪者の受け入れ態勢が異なってくるからです。具体的には子育ての考え方や、信仰の成長という形で問題が現れるからです。個人的には、神を礼拝する信徒(別にブラザレンのグループの信徒でなくても良いと思います)同士の結婚が一番良いのかなぁ、と思います。
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いつも興味深く拝読させていただいております。
私は福音主義教会でバプテスマを受けその後ブラザレンの主人と結婚したクリスチャンです。私の場合は諸集会の信仰の純粋さには惹かれるものがあったのとオープンブラザレンゆえの自由さもありそれほど違和感なく生活できました。「雲のごとく」(伝道出版社)とか「集会の真理と行動」(同)などを読んで勉強もしました。
…が、徐々に「クリスチャンホーム」としての責任の重さや、特に子どもが与えられてからクリスチャンとして求められる物事がとても厳しく重く感じられ、マタニティブルーもあったのでしょうが精神的に不安定になり集会に集えなくなりました。
なんだか今日のテーマとはズレのあるコメントになってしまいましたが、最近の記事を拝読しながら本当にいろいろなことを考えさせられまして、書き込ませていただきました。
2008/12/1(月) 午後 4:30 [ * ]
hyssop様
川向でございます。「集会の真理と行動」読まれましたか。個人的には、疑問を覚えた部分もないわけではありませんでしたが。
お子様が生まれられて、責任感の重さに押しつぶされそうになられたこと、心から、ご同情申し上げます。「育児に失敗したら、クリスチャンホームらしくなければ...、この子がクリスチャンになってくれるように」と思い、その思いに悩まれたのでは、と思います。
hyssop様の苦しみをナザレのイエスはともに担っておられると思います。絶対に。
2008/12/1(月) 午後 9:53 [ kaw*muk*ih ]
Hyssopさまにお勧めしたい本ですが、ヘンリー・ナウエンの「差し伸べられる手」(女子パウロ会)の5章の中の、両親と子ども達というセクションをお勧めします。この本からは、非常に教えられました。
私は、片クリ(片親がクリスチャン)の2世ですが、2世の信仰は、勝ち取っていく信仰ではなく、そこにある親の信仰をつまみ食いするタイプの信仰だと存じます。立派な奉仕者としてのクリスチャンを目指す信仰者ではなく、自然体のクリスチャンであることも可能だと思います。ゆったりと、お子様の成長を見守ってあげてください。無理なさらなくても、ゆったりと信仰の世界になじんでいかれることを祈りましょう。
Hyssop様のコメントを見て、2世のものの見方についても、お話する気持ちになってきました。このシリーズが終わったら、ちょっと書いてみますね。
2008/12/1(月) 午後 10:10 [ kaw*muk*ih ]
川向様
お忙しい中お時間をさいていただき、アドバイスや本のご紹介ありがとうございました。
「ナザレのイエス」とのお言葉にハッとさせられました。
イエス様は、…ナザレのイエスでした。
私は忘れてはならない大切なことを忘れていたような気がいたします。
2008/12/1(月) 午後 11:48 [ * ]
Hyssop 様
コメントへのお返事が遅れまして申し訳ございません。川向でございます。
身の程わきまえず、アドバイスと受け取られても仕方のない文章を書いてしまいました。子供を持つ親として、ゆったりと子供の成長に合わせた霊的成長についての祈りを忘れがちな自分に言い聞かせるつもりで、書いておりましたので、失礼の段、お許しください。
我々は、勝利者としてイエスを見がちですが、実際の生活は悲惨な生活(枕するところもない生活)で罪人と共にあることを喜んでくださり、「大酒のみの食いしん坊」という批判を甘んじて受けてくださった方であることを私も忘れがちであるように、コメントを拝読しながら思いました。
もうちょっと、続きます。
2008/12/3(水) 午後 7:58 [ kaw*muk*ih ]
Hyssop 様 続きでございます。
良いクリスチャンホームに生まれても、そして、両親がクリスチャンとして熱心であっても、子供は別な人格であり、必ずクリスチャンになるとは限らないことは、認識したほうが良いのかなぁ、と思っております。ご両親がクリスチャンでも、子供は問題を抱える事例もあるようです。もちろん、家族の救いについて私自身は祈っておりますが。しかし、自分自身としての子供が自立して選択することを待ってやる寛容な心を私が持てるようにも祈っています。
ただ、熱心な親がクリスチャンであればあるほど、子供はその親の熱心さの良い影響もまたデメリット(友達と日曜日とかに遊べないなど)も受けるので、子供の霊的成長にとって、何が益となるのかは、なんともいいがたい部分があります。
もしよろしければ、http://blog.chiisana.org/?day=20081129 もご参考ください。
2008/12/3(水) 午後 8:04 [ kaw*muk*ih ]