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ブラザレン運動でも、福音宣教を語る中で、仏教的なもの、神道的な
日本文化に含まれるものに対して非常に異教視し、批判的に取り扱い、
多くの人々を不必要にいらだたせ、傷つけ、悲しませ、そして、伝統的
な社会と対立・緊張関係を作り出してきたこともある時期あったことは
確かです。
このブログで取り上げた石濱義則さんが戦前に不敬罪で逮捕される原
因になったのは、天照大神の天岩戸の記事をもとに、「日本神話の神に
はストリッパーがでてくる、なんたることか」とまた人々を不必要に刺
激するような発言をしたからだ、ということが自伝に記載されています
し、この話は何回か直接聞いたことがあるので、間違いない事実だろう
と思います。本当にものはいいようですが、聖書の倫理観を伝えたいと
いう気持ちは分かるもののこういう雰囲気を持った伝道方法ってのは、
確かにどうかなぁ、と思います。聞いている人を不愉快にしても自分の
伝えたいことを追及する。それは一つの考え方とは思いますが、福音を
語る上で、そう発言することで、緊張関係を生み出すことが適切かどう
かに関しては、疑問に思います。伝道は福音を知らない方に、お話とし
て聞いてもらうところから始まるのですから。
確かに、キリスト教の言っている事は間違っていないかもしれないが、
ああ偏屈なキリスト教徒にはなりたくない、という印象を持っている方が
意外と多いのではないか、という佐々木先生の指摘はおそらく正しいと思
います。倫理的に正しくあることは大切、しかし他人を裁くことと混同し
てはならない、というご指摘は重要だろうと思います。
上沼昌男さんという方が、あるブログ
http://meiso-sbjcf.blogspot.com/2007/01/30.html
に書いておられたのですが、教会の社会性の問題ということが、日本の
キリスト教社会とアメリカのキリスト教社会の中の大きな違いかなぁ、
と思います。多分、これがクリスチャンドム(キリスト者社会)の概念が
時間をかけ、醸成され、ある程度定着している社会と日本のようにこの
概念が発展途上の社会の違いかもしれません。これについては、ブラザ
レンの排他的な思想との関係もあると思っているので、いつかもう少し
考えた上で、書いてみたいと思っています。
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石濱さんの不敬罪とは、なんとその発言だったのですか。いやぁすごい、あの時代に、それじゃ捕まるはずです。
ぼくなら、「神が眼鏡をかけているとは変だと思いませんか」くらいは、陰で言いたかったけれど。
2009/1/27(火) 午前 3:58 [ foc**cu ]
foce_cu 様 コメントありがとうございます。
はい、不敬罪事件の原因は、これです。その後、治安維持法違反でも逮捕、有罪判決が出ています。治安維持法違反も、「天照大神は神ではない」と公言したことが原因です。
石濱さんが相談に行ったキリスト教会の大物や弁護士さんも、天照大神が相手では、裁判に勝てない、という感じだったようです。
2009/1/27(火) 午後 9:32 [ kaw*muk*ih ]