|
ブラザレンの初期のリーダー達とオックスフォード大学との関係について
少し触れておきたいと思います。
ブラザレン運動は、アイルランドで始まった運動なので、アイルランドの
大学(ダブリンにあったトリニティカレッジ)の関係者が多いのですが、実
は、オックスフォードの出身者もかなりいます。このことについて、Tim
Grassの Gathering to His Name29-31ページには、には4人の代表的なブラ
ザレンの初期の関係者が触れられています。
------------------------------------------------------------
将来のブラザレンのリーダになる何人かは、1820年代にオックスフォードの
学生であった。この時期は、オックスフォードでの福音主義が非常に移ろいや
すい状況にあり、また福音主義の中での対立が特徴的であった時代です。この
時期の学生の中に、19世紀のブラザレンの中でも最も秀でた頭脳の持ち主の一
人とされたニュートン(註:彼が後にダービーと人としてのキリストの理解を
契機として対立し、最初の大分裂が起きる)がいた。ニュートンはクエーカー
教徒の家族であったが、彼が学校時代の先生で、プリマス近郊のDiptfordの教
区の責任を負っていた元クエーカー教徒のThomas Byrthの国教会的な理解に影
響を強く受けていた。(中略)ニュートンが福音派に転向したのは、Exeterの
学生であった1827年であった。(以下略)
2番目のオックスフォード出身のブラザレンのメンバーは、Henry Bellenden
Bulteel(1895-66) でExeterのフェローでSt Ebbe'sの聖職者(副牧師)でした。
ブルーテルが福音派に転向したのは、1825または1826年で、カルバン派に属し
ました。(以下略)
3番目の有名なオックスフォード関係者は、George Vicesimus Wigram
(1805-79)でQueen’sの学生で、1824年に福音派に転向しました。ブルーテ
ルは、ニュートンをウィグラムに1827年秋に紹介し、ニュートンはウィグラ
ムに他のオックスフォードの福音派のだれよりも親近感を抱いたのでした。
最後のオックスフォード関係者は、F.W. Newman(1805-97)でJohn Henry
Newman(オックスフォードでのカトリックよりの神学的傾向への復古運動の
指導者)の弟であった。F.W. Newmanは在学中に福音派に転向し、1826年に
ウースターカレッジを卒業し、Balloilのフェローに選出された。Newmanは
1827年秋にダブリンに行き、ダービーの義理の弟の家庭教師になった。
(以下略)
以上翻訳終わり
------------------------------------------------------------
こうゆうブラザレンの初期のリーダー達の状況を見ていると、彼らが非常
に聖書に詳しい理由が分かります。特に、高学歴の人々が多く、それが初期
の指導者になったということは、後にまた引用しますが、ブラザレンが現代
の日本やアメリカ社会で想定されるような民主主義的な志向性を持った運動
ではなく、階級社会を背景にしつつ貴族やジェントリー階級(紳士階級)が
中心的な役割を一定程度はたすことが、そもそも内在的にあった可能性があ
るように思います。(イギリスは、やはり階級社会ですし、1830年代は現在
よりもその傾向がかなり強いと思います。)
また、翻訳しませんでしたが、1830年の春に、スコットランド西部でカリス
マ的な兆候が現れた運動(西方分離派運動)が知られるようになったことも
あり、1820-30年代は、福音派が非常にイギリスのキリスト教会では大きな影
響力を持ち、そして多くのキリスト教会の関係者が、聖霊の働きやリバイバル
や、福音を重視する考え方に影響を受けた時代であることが分かります。
ロイド・ジョンズは、この辺の雰囲気を若干でも知る人だったようで、彼の
リバイバルという本を読む時に、純粋に信仰復興運動への期待ということを
感じることができます。
参考文献
Tim Grass(2006) Gathering to His Name, Milton Keynes, Paternoster.
ISBN 1842272209
|