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ブラザレン運動に関係する信徒の集団やその信徒が集まっている
キリスト集会(教会)のグループの総称として、プリマス・ブラザ
レンという言い方をすることがあります。別に教団をなしている訳
ではないのですが、全体を指し示すことばがないために、デボン
(イングランド)のプリマスからきた兄弟姉妹と相互に呼び合って
いるキリスト者集団、ということで、プリマス・ブラザレンと総称
されるようです。その意味で、外部から与えられた名称でしかあり
ませんが、分類上便利なので、これを使うことが多いようです。私
は、あまりこの表現に抵抗感を感じません。説明が簡単になること
が多いので。このプリマス・ブラザレンという表現がされる場合、
一般に、Exclusive BrethrenもOpen Brethrenもともに含むことが
多いようです。プリマスでこの運動が進展した背景について、
Tim GrassのGathering to His Nameの34ページには、次のような
表現があります。
元々、ブラザレン運動を受け入れる素地が、プリマスにあったという
ことのようです。
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プリマスは、この新しい運動の豊かな畑の役割を果たした。この
土地は、国教会のカルバン派の司祭でもあるロバート・ホーカー
(1753-1827)の牧会によって、その土地での受け入れが準備されて
いたのである。プリマスのブラザレン運動の初期のメンバーの多くは、
ホーカーの教会のメンバーであって、彼の死後、その教会は非常に不
安定な状態であった。ニュートンは、群れから離れたミツバチのよう
に、集まっていた、ということを何度か思い出しています。ダービー
がこのプリマスを訪れたのが、1830年の8月ごろで、プリマスのこの教
会で福音宣教をするようにと招かれたのであった。
以上翻訳終わり
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こういう状況を見ていると、運動の初期の出発点では、他の教会の
方々の集会からの信者を多く受け入れ、そして、大きくなってきたこ
と、他の教会の影響を受けながら、拡大していったことを見ることが
できるように思います。本来、他派との差別化からの出発をはかった
というよりは、信者として聖書に忠実に従う一つの群れができないか、
ということを考えた結果、他の教会に集う上での問題を抱えておられ
た信者の方を引き寄せて言った、という事を見ることができるように
思います。この後、1840年代後半に発生したプリマスでのある出来事が、
独立型(オープン)ブラザレン、連結型(エクスクルーシブ)ブラザレ
ンの2グループに分かれていく原因となります。その意味でも、ブラザ
レン運動にとっては、プリマスということは特別の意味を持つ場所の
ようです。
参考文献
Tim Grass(2006) Gathering to His Name, Milton Keynes, Paternoster.
ISBN 1842272209
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