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ブラザレンの運動の出発点に、既存の教会への不満があること
はよく知られていることですし、そのこと自体は事実だろうと
思いますが、このことについて、イギリス各地の集会の成立過程を
取り上げている部分で、Tim GrassはGathering to His Nameの51
ページで、次のように記述しています。
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(既存教会への)不満な思いは、ヘレフォードの集会の出発点
で重要な役割を果たしました。ヘンリー・ジップという国教会の
主任牧師は、非常に多くの人々を集めていたのですが、その教会
では、聖霊の注ぎによる祈りを牧会の中で、重視していました。
ジップは1832年になくなりました。ジップの娘は、後にダービー
の著作集の編集者で、最も学識にすぐれたエクスクルーシブ・ブ
ラザレンの一人であった、ウィリアム・ケリーと結婚しました。
ジップの後継者のジョン・ベンは福音派の有名牧師を輩出した家
系出身の福音派の人物であったのですが、前任者と比べるとそれ
ほど人気があったというわけではありませんでした。彼の教会運
営の方針は、あまりにもアルミニウス的であるとされておりました。
そんな中、ある女性信徒がプリマスの集会に参加したときに非常
に感銘を受け、その集会のホールさんに自分の教会に来て話すよ
うに依頼したのでした。ホールさんの聖書の話は、その教会の多
くの人から支持を受され、(そこでの奉仕のために 補注)ヘレ
フォードに家を建て住むように招かれました。この動きに対して、
ベンはブラザレンに対して反論する説教をしたり、文書を書いたり
したんですが、彼が引き継いだ教会の会衆の100人以上の熱心な
信者が、ホールの説教の霊的な質に引きよせられるかたちで、キ
リスト集会に移ったのでした。ベンが攻撃した結果、もともとの
教会から、その中でも熱心な信者が100人以上も、離れていくとい
う結果になったのでした。この過程で、ホールはニュートンにヘ
レフォードに来て、牧会を手伝うように頼み、実際にニュートン
はヘレフォードでの牧会に携わることとなったのでした。
以上翻訳終わり
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これはヘレフォードの国教会からの大量離脱事件ですが、以前
にも触れたように、ミューラーやチャップマンのバプティストの
信者の方々がほぼ教会ごとブラザレンに移行した例もあります。
それ以外にも、こんな形で他の教会からの分離も起きたようです。
ジョン・ベンのような出て行かれる側の教会や牧師からすると、
庇を貸して母屋を取られるようなものですから、耐え難いものだ
ろうなぁ、と思います。特に献金で生活している牧師、それもあ
まり経済的に豊かでない分だけ、厳しい経験だったろうと思いま
す。19世紀から20世紀初頭にかけてのイギリスにおける国教会の
牧師の貧しさと社会的地位の高さのギャップというのが、何か
ありそうな印象を持っています。
また、当時の教会の特徴として、聖霊の導きが軽視されていた
ということ這いえると思います。ジップの牧会で人々が集まった
というのも、そのかけた部分をジップがともに分かち合おうとし
ていたからだと思います。
この話を読みながら、牧会者の代替わりで、教会の雰囲気が変
わるんだなぁ、と思いましたし、それほど、牧会者の役割は大き
いということも印象深かったですね。日本は、これからこういっ
たことを非常にたくさん経験することになるんでしょうけど。
牧師の代替わりについては、小さないのちを守る会の水谷さん
という方の「命と性の日記〜日々是命、日々是性」でも触れられ
ていましたねぇ。
まぁ、ブラザレンでも、長老の考え方がそのキリスト集会の
あり方に大きく影響を及ぼすので、牧師さんのいる教会に限った
話ではないんですけれども。
参考文献
Tim Grass(2006) Gathering to His Name, Milton Keynes, Paternoster.
ISBN 1842272209
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