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ブラザレンのキリスト集会の場合、記録を残していないことが多い
のですが、ヘレフォードのキリスト集会には、記録マニアの人がいた
らしく、かなり詳細な記録が残っていたようです。Tim Grassの
Gathering to His Nameの52ページには、次のような記述が見られます。
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ヘレフォードの集会の最初から、かなり詳細な記録が残っています。
毎週金曜日の朝に開かれていた責任ある兄弟たちの集まりの詳細など
の記録も残っています。たとえば、メンバーと言う位置づけの話や牧会
上の問題も含まれているのですが、これらの責任者の兄弟たちが、日
曜日のパン裂きで全員にパンがいきわたるために何個にパンを分ける
べきなのか、という内容も含まれていました。集会生活は、毎週日曜
日の10時30分から始まり、1時ごろまで続くようなパン裂き集会を中心
に動いていたのでした。その中には、聖書の話が含まれていましたが、
これは、他の機会に集会の学びに参加できない遠くの信者も機会をあたえ
るためでもありました。
以上翻訳終わり
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しかし、2時間半にも及ぶ聖餐式。長いなぁ、と思います。1時間で
も長いと思いますが。その中で聖書の学びが入っているとはいえ、2時
間以上の聖餐式は長いなぁ、と思います。
今、私が参加しているキリスト集会の聖餐式は、長くても45分なの
で1時間は長いなぁ、と思います。数人の信者さんのところでも、1時
間の聖餐式のところは普通だと思いますが、かなり厳しいのではない
かなぁ、と思います。
参考文献
Tim Grass(2006) Gathering to His Name, Milton Keynes, Paternoster.
ISBN 1842272209
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長いと思います。
しかし、その集会の地域性や信徒の忍耐力も現代日本の若者とは違うのであろうと思います。
それに、学びがどのようなものであったのかにも関心があります。
現代日本で少人数の集会でも学び45分、休憩少々、パン裂き45分位は必要ではないでしょうか?諸集会に限ったことではないのですが学びが疎外されて聖書を無視した信仰に走る傾向が危惧されます。
(聖書よりも自分の感性などを大切にして物事を判断する。情に流されて判断を見誤るなど、、、。)
諸集会ではパン裂きが重要で学びが疎外されている観を感じていました。全ての諸集会がそうだとは言えない立場ではありますが、学びが疎外されていると思いました。学びとパン裂きの調和が崩れていたなと思う今日この頃です。
2009/3/3(火) 午前 5:34 [ msq*x4*1 mikatarou ]
みかたろう様 こんばんは。
かわむかいでございます。諸集会の場合、祈りや賛美を待つ沈黙の時間が長いことが私には一番耐え難いです。長い祈りがよしとされるというわけではないのですが、お一人で5分近く祈っておられる方もおられるようです。
>(聖書よりも自分の感性などを大切にして物事を判断する。情に流されて判断を見誤るなど、、、。)
これは、ありがちだと存じます。自分の感情なのか、聖霊の導きなのかが区別がつかなくなる方もいらっしゃるので。とりわけ、諸集会の場合、聖霊の導きを重視するので、ここが混乱すると非常に厳しいと思います。その意味で、例においても祈り、知性においても祈るパウロのスタイルというのが大事なんだろうなぁ、と思います。
まぁ、諸集会では、学びと聖餐式が一体化せず、分離しているので、その間は余計に強いですよね。連続でするのではなく、聖餐式の後に学びの時間をおくなど、時間的に分けるのも、個人的にはありかなぁ、と思っています。
2009/3/3(火) 午後 10:20 [ kaw*muk*ih ]