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このハワードが始めたロンドンでの集会は、後に大きな影響を与える
ことになります。というのは、ロンドンの集会は、経済的な豊かさもあ
ったのか、後に中心的な役割を果たす集会の一つとなるのです。まぁ、
首都の集会ですから当然といえば当然ですが。実は、後のエクスクルー
シブ(連結型)ブラザレンが形成していくことになるセンターとなる集
会とその影響を受ける集会という構造の原型が生まれのが、どうもロン
ドンのようです。これに関して、Tim GrassのGathering to His Nameの
54ページには、次のような記述が見られます。
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後のエクスクルーシブ・ブラザレンが持っていくことになる擬似連結
関係(Quesi-Connexional)の原型が、ロンドンで生まれました。ロンド
ンでの新しい集会の形成を熟考していく中で、Wigramは1838年に『この
地域の中で聖徒の聖餐式を行うような集会は制限されるべきかどうか?
一つの中心的な集会があることが主の栄光と証をより豊かにすることが
できるのではないか?ある範囲の中での証をすることは、共通の責任とも
いえるのではないか?ある集会とつながっている集会の数が増えれば増え
るほど、主の恵もより確実なものとなり、ここの集会が独自にし、関係
を持たずにすることよりも、集会成長の益になるのではないか?』とい
う問題意識を持ったのでした。
以上翻訳終わり
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確かに、大きなイベントをしたり、大会のような人数が必要な活動をす
ること、あるいは、一つに集まって神の恵みを感じたような気になるこ
とがあることは、否定できません。もちろん、数が多いというだけで、
一種独特の雰囲気があることも確かですが、それだけに気をつけないと
いけないように思うのです。
教会成長ということが、1990年代後半から福音派と呼ばれるプロテス
タント系のグループでは大きな注目を集めてきましたが、大規模教会の
牧師さんの中には、何か勘違いしておられる人々もおられるのではない
か、と思われる場合があります。また、教会成長を強調した教会の中に
は、カルトとみまごうばかりの教会もあったわけで(そうでないものに
も、カルトまがいのものもありますが)、人間的な力に頼った福音の証
ができるというWigramの考え方には、一理あるような気分がするものの、
危険なにおいも感じないわけではありません。
参考文献
Tim Grass(2006) Gathering to His Name, Milton Keynes, Paternoster.
ISBN 1842272209
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今、学校では教会史を学んでいます。
紀元2世紀には急速に首都のローマ教会が他の教会を指導するという
立場になって色々な弊害を生み始めるんですが・・・上下関係は
人の性ですかね・・・
2009/3/13(金) 午前 10:03 [ のっぞん ]
のっぞんさん お久しぶりです。
コメントどうもありがとうございました。上下関係というよりは、組織を作ってしまうと、対等・平等な組織間関係ということを維持するよりは、組織が別の政治的な意図や論理構成を持ってしまうので、問題を生み出すようです。組織は、その作られた目的の反対のことをするようにできている、ということがロイドジョンズの最近翻訳された書物に記載されていたように思います。
多分、こうなるのは、罪の性質のなせる業でしょう。
2009/3/13(金) 午後 1:07 [ kaw*muk*ih ]