ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

ブラザレンの分裂史

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 元々、信者の一致(キリストの体としての一致が教派やそれぞれの信仰の

理想像の壁を乗り越え表せないか)という問題意識で始まったブラザレン運

動が、その開始から20年程度で分裂を起こすというのは、非常に皮肉な話で

す。また、この運動が他の教会に対して、否定的な視点を持っていることに

ついても、個人的にはどうなのかなぁ、と今は思っています。昔は、他の教

会は間違っていると教えられ、素直に(無批判に)その通りだ、と私も思っ

ていましたので、こういう思いに若い信者の方が、とらわれてないと良いの

だけれども、と思っています。この点についてTim GrassのGathering to

His Nameの63ページには、次のような記述が見られます。
---------------------------------------------------------------
 ブラザレンの信徒の書き記したものや、議論で繰り返しテーマになったこ

とに、どのようなことから信者の交わりが一致したものとなるのか、一体と

なることができるものか、ということがあります。国教会から分離した多く

の人々は、キリスト者の一致といった時にそれがあまりに幅広いものであり

つつも、聖餐式論の観点からはあまりに狭いものであるという印象をもたれ

ていました。というのは、世的な人々が幅広く聖餐式に参列することを認め

るという観点からは、あまりに幅広いものでした。それと同時に、異なる考

えを主張する非国教徒の聖餐式の参加を認めず、これらの人々を排除する点

ではあまりに狭いものである、とされていたのです。当初、ダービーとグロ

ーブスはともに、キリストが人生の中で大切なものであるとするということ

で、クリスチャンの交わりがなされるべきであるという点では一致していま

したし、ダービーは、集会に、すべての信者を受け入れるように勧め、また、

信徒の交わりに制約を加えるようなことは、避けるべきだとしていました。

(中略)

 しかし、プリマスでは、そのような雰囲気ではありませんでした。ここま

で述べてきたように、プリマスの初期のリーダー達には分離主義的な要素が

あったのです。Borlaseは最初すべての信者を受け入れる広さを持っていまし

たが、それがあまりに昂じた結果、他の教会に対する態度が急速に変わり、

裁きの時に備えて、バビロン(普通の教会)から分離するよう呼びかけるよ

うにその態度を変えたのでした。
以上和訳終わり
---------------------------------------------------------------
 よその教会を黙示録に出てくるバビロン扱いするのはどうかなぁ、と思い

ます。ブラザレンは、間違ったところはないのか、といわれて、ありません、

と答えられる集会って、あるんでしょうかねぇ。本当にそう思います。

参考文献
Tim Grass(2006) Gathering to His Name, Milton Keynes, Paternoster.
ISBN 1842272209

閉じる コメント(13)

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私はキリスト者の一致は、必ずしも教理的に完全に一致することではないと今のところ思っています。多分、細かいところまで一致するのは、無理だろうと思うのです。

では一致できないのかと言うと、できると思います。抽象的かもしれませんが、みんながイエスを真に見上げるなら、それが一致をもたらすと思っています。イエスを見ずに、違いに目を向けるなら、一致は難しいかと。

2009/3/18(水) 午後 11:54 [ psa*m8*3* ]

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ダビデさんこんばんは。教理で一致することというのは、無理だろうと思います。多様な考え方があってよいですし、聖書は多様な読み方をよしとしているように思います。また、信者の成長という問題もありますので、考え方は時間とともに変化しますし。私の場合もですが。

キリストの体としての一致というのは、互いに愛し合い、忍びあい、というエペソ書4章があるようにその思いが重要かなぁ、と思います。ロイドジョンズのキリスト者の一致という本を思い出しました。

2009/3/19(木) 午後 9:56 [ kaw*muk*ih ]

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ミカタロウ様、失礼しました。昨日、ネット接続の状態が悪く、コメントをお返しできていなかったようです。大変失礼しました。

ご指摘の通り、異端との区別は重要ですが、異端も神に愛されている人であることを考えると、その考え自体は問題があるとして排除すべきですだとはおもいますが、人格と思想は分割できないものがあるので、ご説得は難しいことが多いですね。

2009/3/21(土) 午後 0:54 [ kaw*muk*ih ]

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川向様
コメントを消去してしまい申し訳ありませんでした。
文章表現に些細ではありますが気に入らない箇所があり、消去してしまいました。。

それから、『異端の方と一線を引く』という件ですが、私は家に居る事が多く、エホバの方が訪ねて来ることもあるので体調の良い時は家に上げて話を聞きます。大概はキリストの神性や二性論辺りから難しくなります。
彼らは難しい問題は後日に延期して、再度尋ねてくる傾向があるので
す。(多分、彼らの長老レベルに相談して回答を準備しています。)エホバの長老は私などが太刀打ちできるレベルではないです。
でも、我家を訪ねて来る方々には私のイエス・キリストを紹介しています。

それから、本題に戻りますが、分裂は『聖書に対する教会の問題』が現れていると思いますから、日本のブラザレンにとっては緊急課題だと思っています。

2009/3/21(土) 午後 7:05 [ msq*x4*1 mikatarou ]

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普通、教派は単立でも異端対策としての神学的なラインがあると思います。
しかし、日本のブラザレンの特徴(私の知る範囲)は熱心な兄弟が
未信者への伝道を最優先する余りに集会建設(聖書教育など)を無視して飛び出して行くものでした。
また、長老が異端に走るケ−スもありました。
他の教派でもこの様な問題は起きていますが、日本のブレズレンは
その頻度が比較的高いと思います。

その大きな問題点は神学教育への偏見があるからだと思います。
欧米だとブレズレンの神学校があるそうですが日本ではないと思います。ですから、若い信徒の中には神学校で学ぶことを希望する人も出て来る訳ですが、それを異端の芽でも出て来たかのように始末してしまう傾向がありました。
(宣教師によっては日本の何れかの神学校への進学を理解された方もいたようです。しかし、その宣教師が去れば後を継いだ長老が神学教育を否定することもありました。)

ただし、神学校によっては返って異端を集会に持ち込む危険があるとは言えます。多分19世紀のブレズレンはその問題に直面したのだと思います。

2009/3/21(土) 午後 7:51 [ msq*x4*1 mikatarou ]

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団塊の世代が元気だった時代には、その集団の「張り合う」という習性が、「セクト闘争(内ゲバ)」として世間を賑わせていましたが、ブレザレンに身を置いた人たちも「分裂」という形で肉の習性を顕わしてしまったのではないでしょうか?
もしかしたら、彼らが世を去る間際にその「罪の告白」をするかもしれません。

2009/3/21(土) 午後 8:28 [ Luce ]

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ミカタロウ様 再度のコメントありがとうございます。エホバの方は、熱心ですが、一般の聖書からは導き出せない特殊な教理が先に教え込まれており、そのものの見方からしかお話ができないので、困ることが多いです。本当に。説得にものすごく時間がかかりますし、ほとんど説得不可能です。ああいわれれば、こう返す、というマニュアルがあるように思います。
それから、日本には、教会が普通にある社会でありませんし、教会が地域に根ざした存在ではないし、信者と地域との関係の蓄積もあまりないので、現在もなお試行錯誤の状態が続いているように思います。そして、教会論の確固たる考え方があまりないのが、ブラザレンの特徴のようです。この分裂騒動もそうですし、このあと、ご紹介していく予定の部分でもその教会論がないことによる諸問題が英国でもあったとTim Grassは理解しているようです。

2009/3/22(日) 午前 8:35 [ kaw*muk*ih ]

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教会論がないことについての問題は、Nathan Delynn Smith著のRoots, Renewal and the Brethren でも触れられていました。彼は、ダラス神学校で教えている人物ですが、教会論をきちんと捉えるべきだ、という立場のようです。
集会の責任者や信徒が異端的な考えの方向に大きく影響された例は、少なくともいくつかありますが、他の集会に口出ししない原則とあいまって、問題が大きくなっているように思います。
神学教育をひとまとめにして、異端視し、敵視する傾向というのは、確かにあったように思いますし、今もなおあるように思います。書籍にしても、神学教育にしても、他の教育にしても、内容の吟味と自分たちの信仰をどう考えるかのバランスの問題とは思うのですが。

2009/3/22(日) 午前 9:02 [ kaw*muk*ih ]

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Luce様

ご指摘ありがとうございました。確かに団塊の世代論から、集会の分裂というのを考えたことはなかったので、その面もあるかもしれません。競争的な環境があり、また、競争事態がよしとされた状況下であったからこそ、より正統な聖書理解の競争という形で、「分裂」がおきたのかもしれません。ただ、団塊の世代の方以外の関与でも、この分裂騒動は起きているように思いますので、日本におけるブラザレンの株分けと分裂の問題を本当はどこかで整理したいのですが、個人攻撃とうけとられかねないので、悩ましいところだという印象を受けております。

2009/3/22(日) 午前 9:15 [ kaw*muk*ih ]

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個人攻撃になるのはよくないですよね。
しかし、神のことばをみだりに唱えた罪は、神の御前に差し出していただかないといけない、という意味で、「彼らが世を去る間際に」とコメントしました。

2009/3/26(木) 午後 10:44 [ Luce ]

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Luceさま コメントありがとうございます。

>神のことばをみだりに唱えた罪

というよりは、「神のことばをみだりに使って、互いにみことばでさばきあった罪」かも知れません。自分自身も、若気の至りとはいえ、これに似たようなことをしたので、その方には、心からのお詫びのお手紙を書きましたし、神の前には悔い改め、そのようなことのないように、個人としてどう思うか、という観点から私は違う考えなんですけど、とお話しするようにしています。本当に、まずいことをしたと、反省しています。

2009/3/27(金) 午後 10:32 [ kaw*muk*ih ]

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川向さま
知らなかったこととはいえ、断罪するようなコメントをしてすみませんでした。
個人としてみことばの剣で信者同士切りつけ合うということは「若気の至り」としてあると思います。
率直な反省、すばらしいと思います。
しかし、教会(というか集会)の分裂ということに着目して、その分裂に至らせる行為としてみことばが引き合いに出されるようなことは、集会をミスリードするということなので、その意味でコメントしました。

2009/3/28(土) 午前 10:03 [ Luce ]

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Luceさま コメントありがとうございました。やはり、他人を傷つけた傷は自分の傷でもあり、キリストの傷にもなる、というのがキリスト教会のユニークなところだと思います。その分、神の前での反省(神の前での悔い改め)も重要かなぁと思います。
今日の記事にも書きましたが(実はかなり以前に書いていたものですが)、実は、聖書理解や教会についての考え方が共有されていない、あるいは、他者の違いが認めた上での一致に向けた努力がないところに問題があるという意味では、Luceさまのご指摘の通りと思います。

2009/3/28(土) 午後 7:14 [ kaw*muk*ih ]


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