ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

ブラザレンの分裂史

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 リーダーシップについての考え方でも、ダービーとニュートン

は相当違っていたようです。この件について、Tim Grassの

Gathering to His Nameの69ページには、次のような記述が

見られます。
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 預言の問題と同様に、ニュートンのキリスト集会における

指導の問題はもう一つの大きな問題でした。ニュートンは成

長している教会には、強いリーダーシップが必要だという考

え方でした。この考え方の基礎は、彼がオックスフォード大

学に進む前の時代に出来上がっていったもののようです。彼

があまり心を開く人ではなかったこと、彼の預言研究の熱心

な人物であったことが影響しているようです。このような人

物でしたが、アービニズムと考え方の点で一致できないと考

えた背景には、オックスフォード大時代と、イングランド南

西地域(リバイバルが起きたそうです)での経験に基づくも

のでした。

兄弟達に開かれた(だれでもが語れる)集会のあり方は、ほ

とんど無秩序といってよいものという見解をニュートンは持

っていったようです。
以上和訳終わり
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 ニュートンの考えも分からないわけではないよなぁ、と思

います。神学研究の徒として、若い時代から天に召されるま

で情熱を傾け、聖書研究に日夜努力してきた彼にとって見れ

ば、十分に学んでない信徒達にも、講壇が公開され、その講

壇から聖書の『学び』と称される集会の中で、あやしい雰囲

気が漂いかねない聖書理解が語られることは、耐え難かった

のではないか、とおもいます。私自身は、個人的にいろんな

人がいて良いし、いろんな聖書研究というスタイルがあって

よいと、思っていますが、時に聖書から離れたりしかね方が

おられるので、そういう場面に出くわすと、まずいなぁ、と

思うこともあります。聖書を学ぶ上で、謙虚さやさまざま

な考え方との対話する意識を持った上での態度ということを、

語る方は持ってもらえると良いなぁ、と思っています。

参考文献
Tim Grass(2006) Gathering to His Name, Milton Keynes,

Paternoster.

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歴史は学ばない者に繰り返される、と思いつつ読ませていただいています。

この記事も、また改めて考えさせられるものです。感謝します。

2009/4/1(水) 午後 11:37 [ g_topspeed ]

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武州乃鳩 様

ご訪問感謝します。本当にそうなんですよ。キリスト集会も、同じ様なことの繰り返しをしているような印象を持っています。自分達を客観視する方法論として最も手っ取り早い歴史に学ぶことが大事かなぁ、と思い、このブログをしております。

2009/4/1(水) 午後 11:44 [ kaw*muk*ih ]

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昔『教会史はクダラナイから止めなさい。神学は悪魔の業です。』
と諸集会の長老から教えられました。

『諸集会とは、姉妹の髪が長い、姉妹はかぶり物をする、毎週日曜日にパン裂きをする、これが諸集会である。』と思っている日本の諸集会の信徒の方が多いようですね。でも、それは目に見える特徴に過ぎないと思います。

≪諸集会とは?≫神学的立場を曖昧にしたまま、リベラル派、福音派、聖霊派が混じり会っているのであろうと思います。ですから、分裂の頻度は高いと思います。ブレズレン運動を展開して行くには準備が整っていないと言えます。
ニュートンという方を私は知りませんが、今の日本の諸集会にリバイバルが起きればニュートンの危惧していた無秩序が起きると思います。

2009/4/3(金) 午前 3:32 [ msq*x4*1 mikatarou ]

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昔、仕事で地方に行き、ある集会を訪ねた時に、30分後に福音集会が始まるので福音メッセージをしてくれないかと、そこの集会の長老に依頼されたことがありました。結果として私は断わったのですが、私は所属の集会名と名前を言っただけなのですから(何処の馬の骨だか判らない訳です)長老としては様子を見て吟味すべきでありましうが、行き成り福音メッセージの依頼とは恐れ入りました。

その集会は一時的に数を増しましたが、その後崩壊して行きました。
そこの集会の長老は諸集会の信仰というよりはクエーカー教徒の信仰ではなかろうかと思える方でした。その集会で除名された信徒は他の教派や他の集会で受け入れられたと聞いています。
(クエーカー派は聖霊の導きを教えと信仰の第一の基準と見なす傾向があり聖書研究もその流れの中で行なわれるので学問的な聖書研究や聖書解釈は疎まれる傾向がある。真理よりも外面的なものに価値をおくので姉妹の髪の長さや服装、日曜日の集会参加の絶対化などが諸集会に影響を及ぼしていると思われる)

2009/4/3(金) 午前 4:16 [ msq*x4*1 mikatarou ]

こんにちは、オレゴンから無事帰宅しました。近所の福音派の教会に行きましてわりと日本の教会と同じだなあと感じました。みなさん親切でした。よい礼拝ができました♪

このブログの内容、専門的で私にはちょっと難しいですが、いつか本になり出版されたらいいですね。

2009/4/3(金) 午後 5:48 sayaka

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ミカタロウ様 こんばんは。

>昔『教会史はクダラナイから止めなさい。神学は悪魔の業です。』
と諸集会の長老から教えられました。

はい、今でもそう教えているキリスト集会は多いです。多分、この背景には、教会史(歴史神学)をする以上、他の教派の考え方に触れることになること、我々の信仰のかなりの部分がカトリック教会の中で形成されてきた内容に依拠し、他の信仰者のグループとの考え方に近いものが多いことが明らかになるからだろうと考えています。

私は、若い方に、歴史神学をしたければ、どんどんしたら良いです、マクグラスは良いですよ、とお勧めしています。なので、普通のキリスト集会の信者とはちょっと違うのだろうと思います。私は、それでもキリスト集会の信者の一部ですが。キリスト集会には以前はこだわっていたのですが、今はそれほどこだわっているわけではありません。

2009/4/3(金) 午後 11:20 [ kaw*muk*ih ]

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続きです。

>『諸集会とは、姉妹の髪が長い、姉妹はかぶり物をする、毎週日
>曜日にパン裂きをする、これが諸集会である。』と思っている日
>本の諸集会の信徒の方が多いようですね。でも、それは目に見え
>る特徴に過ぎないと思います。

そう、形式がかなり重視されるのが、日本のブラザレンの一部の方の特徴ですね。分かりやすいですから。その結果、形式論、あるいは信者に求められる行動規範を中心にキリスト教会を語る人が増えているのだと思います。それは、ご指摘の通り、神学的にはミックスジュース状態(あまり適切な表現ではないですね)というか闇鍋状態だからかもしれません。確固たる神学の基準がないのが、ブラザレンの最大の特徴であり、その分、いろんな人たちの考え方が入って来やすいし、そして、学びや福音が、どこかで読んだ本や誰かから聞いた話の受け売りとなっている場合もあるような気もします

2009/4/3(金) 午後 11:43 [ kaw*muk*ih ]

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続きです。

この後触れますが、ニュートンはこの分裂の結果、ブラザレン運動から離れ、ロンドンで聖書研究者として、そして牧会をしながら一生を終えます。当時、最もすぐれた知性をもった方と評されただけにボタンの賭け違いから、問題が拡大して行った結果とはいえ、ブラザレンから離脱していきます。本当は、彼にとってはその方が幸せだったかもしれないなぁ、と思います。

2009/4/3(金) 午後 11:46 [ kaw*muk*ih ]

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続きです。

>昔、仕事で地方に行き、ある集会を訪ねた時に、30分後に
>福音集会が始まるので福音メッセージをしてくれないかと、
>そこの集会の長老に依頼されたことがありました。結果とし
>て私は断わったのですが、私は所属の集会名と名前を言った
>だけなのですから(何処の馬の骨だか判らない訳です)長老
>としては様子を見て吟味すべきでありましうが、行き成り福
>音メッセージの依頼とは恐れ入りました。

わかります。多分、当時ご所属されていた集会が、高名な集会の兄弟なら、さぞや高名な兄弟方の立派な学びや福音メッセージに触れておられるのでしょう。だとしたら、語っていただきましょう、と思ったその地の長老の気持ちも分かるように思います。

また、クエーカーだけでなく聖霊派と呼ばれるグループでは、同様の聖霊の導きを重視し、理知的な理解を軽視する傾向が見られるように思います。

2009/4/4(土) 午前 0:12 [ kaw*muk*ih ]

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ミカタロウ様

本来、内面的な一致を求めて始まったブラザレン運動が、外面的な基準が重視されることが多いのは、本当に、出発点を忘れているのではないのか、ということを思います。去年の夏、石濱みかるさんから言われた「今の諸集会は、ブラザレンの革新性を忘れているのではないか」という指摘は手厳しいご指摘だったですが、重要なご指摘だったと思っています。

本当に、考えさせられるコメント、ありがとうございました。

2009/4/4(土) 午前 0:13 [ kaw*muk*ih ]

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さやかさん、お帰りなさい。


>こんにちは、オレゴンから無事帰宅しました。近所の福音派の
>教会に行きましてわりと日本の教会と同じだなあと感じました。
>みなさん親切でした。よい礼拝ができました♪

よかったですね。アメリカは、コミュニティチャーチの層が厚く、
また、バラエティに富んでいること、教派の垣根が低く、キリスト者として一つ、ということを日本より感じやすいように思います。上沼先生のブログ
http://meiso-sbjcf.blogspot.com/2007_01_01_archive.html
にもその話が載ってましたっけ。

>このブログの内容、専門的で私にはちょっと難しいですが、
>いつか本になり出版されたらいいですね。

すみません。一応内部の方向けに書いている者で、内輪受けの面が強く、外の方には分かりにくい話が多く、申し訳なく存じます。もちろん、外の方も大歓迎です。この手の話し、出版したとして、売れないでしょう。多分。買う人、あまりいないと思います。だから、ブログにしているということもあります。

2009/4/4(土) 午前 0:20 [ kaw*muk*ih ]

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川向様
私は1970年代から80年代までの諸集会の主だった人々のメッセージを聞ける環境にいたと思います。北海道、東北、北陸、関東、中部、関西(京都、阿倍野など)北九州などの伝道者や長老の福音や学びを聞いています。当時は気ずかなかったのですが今思うには、日本の諸集会には3つの流れが出来上がり始めていたのだろうと思います。
それらを明確に3区分できるほど諸集会は単純ではなく『闇鍋』的ではありますが、3つ目の流れに気づくのが遅かったなと思っています。
3つ目のグループは個人的な存在で、川向様ももしかしたらそのグループの範疇かも知れませんね?
彼らは個人的に学術的な聖書研究に熱心です。集会の中にもヘブル語やギリシャ語を披露して語る方がいますが、その翻訳のお粗末に気がついて危機感を抱いた若者たちのようです。そして、集会(教会)の真理ということに拘りもあるなと思いました。彼らのようなクリスチャンが日本の諸集会の中にいた事は驚きでした。(喜ばしい驚きでした!)

2009/4/4(土) 午後 0:32 [ msq*x4*1 mikatarou ]

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さて、『闇鍋』という言葉を諸集会にあてはめて使ってしまったので補足します。私は1990年代には様々の教派の方々と出会います。
それは主に軽井沢でした。神学に触れるという部分では感謝でしたが
全国の様々の教派の方が来るので、やはり『闇鍋』でした。私は比較的安全で守られるであろうと思ったセミナーを選ぶようにしました。

私と相部屋になったある方は旧約聖書の神は恐ろしい神で、新約聖書の神は愛の神だと口癖のように発言していました。私にとっては旧約も新約も同じ神(主)と思われたので違和感のある方でした。公務員であったと思いましたが日曜日は必ず教会に出るとも言っていました。(職場では浮いた存在だろうなと思いました)その他、その場では気がつかなくても後で気づかされる事もありました。

そのような訳で日本の諸集会は小さな『闇鍋』であり、世界には大きな『闇鍋』があるということだと思いました。

それに、私の心も闇鍋のようなものです。
聖書によって改革され続けない限り、私も闇に包まれてしまう罪人に過ぎないのです。

2009/4/4(土) 午後 2:41 [ msq*x4*1 mikatarou ]

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ミカタロウ様 コメントありがとうございました。

「1970年代から80年代までの諸集会の主だった人々のメッセージを聞ける環境」うーん。すごい。当時、カセットテープが出回り始め、それによる録音とそのコピーが相当出回った時代ですね。今は、なぜか、そういうことが少なくなりました。中京地方にいた信者さんが、祈りの手帳を毎月全国に配って、各地の特伝をお知らせしておられた時代ですね。今は、そんなサービスがなくなっているようです。

確かに、いくつかの親密度の高いグループがあり、それらのグループ間でも信徒の個人的なつながりを基にしながら、緩やかにところどころつながりに疎密がありながら、つながっているように思います。

2009/4/4(土) 午後 10:59 [ kaw*muk*ih ]

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続きです。

私が第3のグループに属するのかどうかは、私以外の方のご判断におゆだねしたいですが、確かに、様々な書物などを利用しながら、神学的な理解を高めて行こうとしておられる信徒のグループも少数ながら折られます。軽井沢バイブルキャンプ場を利用した、軽井沢バイブルトレーニングセンターが休止してしまい、日本の集会内部での育成プログラムは今のところ、なくなってしまっていますので、以前のように、問題点を含むことを覚悟しながら、外部の聖書学校のような機関に依存することになっているようです。最近は、国内、海外の聖書学校に学びに行く方、海外の聖書学校をおでになられた方もおられるようです。個人的には、良い傾向だと思います。

2009/4/4(土) 午後 11:01 [ kaw*muk*ih ]

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続きです。

軽井沢の恵シャレーでのセミナーのことだとは思いますが、超教派となると、どうしてもいろんな方がこられるようなので、本当にいろんな方と出会われたのだろうと存じます。

そう、私達は、小さな個人という闇鍋ですし、そしてその中に神がご臨在してくださる闇鍋と思います。集会は、その小さな闇鍋の集まり、その分いろんな違った闇鍋がまとめられ、ちょっと大きな闇鍋となるように思います。そして、キリスト教会全体は、もっと多様なやや大きめの闇鍋が集まった、もっと大きな闇鍋。何が当たるか、よく分からない。でも、そこにそっとご自身の一部を入れてくださる神がおられ、それぞれが違ったことを神から知らされ、そしてそれらが大きな一つの闇鍋となっていて、キリストの体をなしていることの不思議さを感じます。
上沼氏の「闇を棲家とする私、闇を隠れ家とする神」を読みながら、そんなことの不思議さも感じています。

2009/4/4(土) 午後 11:09 [ kaw*muk*ih ]

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軽井沢バイブルトレーニングセンターの事は聞いています。
恵シャレーの神学的なセミナーには諸集会の方も時々来られました。
その中の一人の方と軽井沢の街を散歩しながら話を聞いた思い出があります。その方は軽井沢バイブルセンターには行かないと明言していました。後日、その方の集会を訪ねる機会がありました。小さな家族的な集会でした。その方はその集会の長老でした。この集会の二人の兄弟の学びを聞きましたが神学を修めた者の様でした。一人はキリストの再臨がテ−マでしたが持論を語るのではなく、3つの説を紹介したのですが、とても良くまとめられていて聴きやすい内容でした。

2009/4/5(日) 午前 0:00 [ msq*x4*1 mikatarou ]

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≫上沼氏の『闇を棲家とする私、闇を隠れ家とする神』
の『闇』とは何か私には判りませんが、機会があれば読んで見たいと思います。

2009/4/5(日) 午前 0:26 [ msq*x4*1 mikatarou ]

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ミカタロウ様 コメントありがとうございました。

川向でございます。

>一人はキリストの再臨がテ−マでしたが持論を語るのではなく、
>3つの説を紹介したのですが、とても良くまとめられていて聴き
>やすい内容でした。

そうですね。こういう様々な説を各論を列記されるような学び、というありかたは、いいですね。見習いたいと思います。自らのあり方を考えさせられました。

上沼氏の『闇を棲家とする私、闇を隠れ家とする神』は、キリスト者の中にある罪の問題と罪の性質への対応の問題を扱った書籍です。キリスト者にとっても、常に神との関係を保つことの重要性を扱った書籍だと存知ます。個人的には教えられることの多い書籍でした。

2009/4/5(日) 午後 7:33 [ kaw*muk*ih ]


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