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分裂の最終段階で、もめることを回避するために色々と方策が実際に試み
られたようです。和解を探る、ということは、キリスト者として本当に大切
なことなので、その態度は重要だと思いますが、しかし、ダービーも結構性
格が激しい人物であったというものの、ニュートンも、その性格の激しさは
かなりなものだったようです。それだけニュートン自身、彼の聖書理解を大
切にしていたとということなんでしょう。この問題の回避するためにとられ
た手紙のやり取りの概要について、Tim GrassのGathering to His Nameの73
ページには、次のような記述が見られます。
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1845年3月30日、ニュートンは、彼とともに責任を取っている責任者
(Harris,Batten,Soltau)にダービーの不和を生じる行動と非伝統的な教
理と彼が理解している聖書理解について、ともに考えるように依頼しまし
た。ニュートンとダービーの手紙のやり取りがされたのですが、その手紙
の中で、ダービーは、聖書理解の違いについての議論を避け、ニュートン
の弱点でもあった、彼の高圧的な態度に集中してな攻撃したのでした。更
なる手紙のやり取りで、ダービーは、議論の対象とする問題を限定して指
摘し、議論することを拒否し、この6年の間におきたことについての詳細
をニュートンがほかの兄弟に相談したように公けにする必要はないと感じ
ていると主張し、ニュートンが確実に分離派的な排除主義者だとして非難
したのでした。
以上翻訳終わり
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確かに兄弟に対して愚か者、といっているわけではありませんが、
かなり厳しい表現をしています。こと聖書に関しての考えかただけに、
相手の議論を尊重することは、自説を曲げることにもなるので、簡単
に同調したり、妥協するということもできないのが、ブラザレンの
伝統なのかなぁ、と改めて思いました。聖書に関する真理追求である
がゆえに、その論争の激しさが増すんでしょうね。問題の出発点は、
かなり具体的な物事のあり方や聖書の一部の解釈の違いなんでしょう
が、それが聖書全体の聖書理解の問題やクリスチャンとしてのありか
たにまで波及してしまっているようにおもいます。聖書にある部分に
関する理解の違いが、聖書理解全体の問題にいつのまにか変ってしま
ったのではないか、といったら言い過ぎかもしれませんが、どうもそ
んな印象をこの事件に関しては、個人的に持っております。
聖書を聖書で理解する(聖書のことばの相互関係を考えながら、聖
書理解を深めていく)という方法論をとるブラザレンであるからこそ、
一部の理解の違いが、聖書全体に波及してしまうといった問題がおき
たように思います。
参考文献
Tim Grass(2006) Gathering to His Name, Milton Keynes, Paternoster.
ISBN 1842272209
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>問題の出発点は
〜
>波及してしまっているようにおもいます。
同感です。
些細な違いだったはずが...意見交換を深めていくと...オイオイということがありますね。
悪魔の手先、呼ばわりされたことがありますw
2009/4/10(金) 午前 3:16 [ g_topspeed ]
武州乃鳩様
コメントありがとうございます。本当に、仔細な違いが誤解につながり、それがひね曲がっていくことが説きにあります。
武州乃鳩様もおつらい思いをされたことと、心から、ご同情申し上げます。
2009/4/11(土) 午後 10:58 [ kaw*muk*ih ]