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以前にも書いたと思いますが、ニュートンとダービーの議論は
どうもかみ合っていないように思います。ダービーは、ニュート
ンのやり方を批判を倫理的でないと批判し、ニュートンは聖書理解
の問題として捉えていたようです。ボタンの賭け違いというのか、
これでは、議論がかみ合わなかったろうと思います。
Tim GrassのGathering to His Nameの76ページには、次のような記述が見られます。
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ダービーとニュートンの議論の対象となった問題の視点の違いは、
彼らの信仰における真理の役割の理解の違いに根差しているよ
うです。ダービーにとってみれば、信仰上の真理の倫理的な影響
力は、もっとも重要なものであり、プリマスでの問題を、倫理的な
問題としてとらえていたようです。この観点から、どちらの考え方が
聖書的であるかどうか、で混乱が生じたというよりは、ニュートンが
彼のものの見方を変更したやり方にダービーは焦点を当てて議論
を展開しようとしたのでした。(中略)
Tregllesはこの問題は、預言解釈がこの問題の根源にあるとみ
ていたようですが、Tregllesは次のように書いています。「ニュートン
は、ダービーの予言についての考え方と調和のある考え方をしたこ
とがあるのだろうか?ニュートンが教会の秩序や牧会について反対
したということを聞くことがあるだろうか」と書いている。(中略)しかし、
ダービーは、預言についての理解の違いの結果、あるいは、(訳注
集会の)リーダーシップに関する考え方の違いと個人的な感情的
対立がこのようなことになった原因であるということを否定しました。
(訳注 要するに、ニュートンが勝手に文章を変えたことが倫理的
でないという点に絞ってダービーはニュートンを攻撃しようとしたとい
うことのようです。)
ダービーのニュートンとの問題に対する理解は、ニュートンの知的
なエリート主義の問題が原因であると考えました。ダービーは、この
問題に先立つ数年前、ニュートンにあまり洗練されていない話し手
に話させないようにしむけるのはどうか、ということを忠告していたとし
ています(訳注 もっと洗練されていない話し手もはなせるようにしたら
どうかとすすめていたようです)ダービーは、プリマスでは堂々と、無学
なペテロのような人物を神は用いず、パウロのような学のある人物を
用いるということが教えられていた、と非難していたのでした。ダービー
にとっては、プリマスでは、ニュートンの独特の分離派的な考え方の結
果、福音を語ることの重要性がやや軽んじられていたように感じていた
のでした。
以上和訳終わり
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庶民性というのか、平信徒主義を重視したダービーときちんとした
メッセージを語る上での洗練を重視した貴族主義的な側面があったニ
ュートン、この辺の違いが2人の関係をまずくしていったとおもいます。
ダービーは、神秘主義的な人物であり、分かりにくいこともよしとした
部分があるようで、この辺の違いというのがあるようです。
日本のキリスト集会は最近は、分かりやすいお話が増えているように
思います。この背景には、日本の平均的な教育水準が向上したことも
あるように思います。
ちなみに「無学なペテロのような人物」といったのは、ダービー
であって、私ではありません。まぁ、確かに使徒の働きではペテロの
形容詞として用いられていますが、普通の人ということですが、聖書
(旧約)の知識については、日本人である私達よりははるかに多かっ
たとおもうのですが。
現代の日本は、初等教育及び中等教育が普及し、高等教育のレベルは
別としてかなり普及しているので、ダービーの時代の普通の人といった
ときに、現代の日本の普通の人、ということを考えない方が良いかも
しれません。
現代は、ありがたいことにネットでいろんな方のお話をお聞きする
ことができ、読める時代になりました。私もお話するときに、参考に
なる点があるなぁ、と思うことも少なくありません。ただ、ある教会
で語られるときには、その教会の信徒を前提として、語られている
はずなので、そのあたりの注意は必要かなぁ、と思います。
特にロイドジョンズの説教集を読むときには、かなり気をつけてお
かないといけないかなぁ、と思います。
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