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今回は、ダービーとニュートンの間の分裂を決定づけたキリストと
その苦しみに関する考え方を原因とした議論についてご紹介したい
と思います。
このあたりの議論の先鋭化に過去の議論や過去はなした内容の蒸
し返しが行われたことが大きな問題を生んでいったように思います。
Tim GrassのGathering to His Nameの77-78ページには、次のような
記述が見られます。77-78ページ
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1847年の早い時期に、キリストの苦しみについて詩篇6篇から講解した
ニュートンの説教のメモが回覧された。このニュートンの説教は、1835
年に彼がChristian Witnessに書いた記事にもと基づくもので、ブラザ
レン運動は、キリストが完全に人となられたということを必ずしも正当
化しようとするものでないということに関する記事に関連する説教でし
た。この説教自体は、アーバイン派の人たちへの対応を試みるものであ
した。キリストの苦しみの問題は、特に新しい論点ではなく、1836年の
預言についての大会での議論のテーマの一つであり、その大会の参加者
たちは、キリストがユダヤ人(ダービーにとっては、文字どおりの意味
と、霊的なクリスチャンの違いがその考え中にあったのですが)と霊的
に残されたもの(レムナント)の両方のため苦しまれたのかどうかに関し
ての考えに関するものでした。
論点は、キリストの苦しみのいくばくかは、彼が罪人の身代わりとし
て苦しまれたり、彼自身が罪深かったからではなく、イスラエルの民と
して罪人共に自ら歩もうとした行動によるものかどうか、ということで
した。別の言い方をすれば、キリストは、罪の結果を受ける必要はなか
ったのだけれども、罪の結果苦しみを受けるべき人々とともにいたこと
をどう考えるのか、ということが論点とした説教でした。
ニュートンに、回覧された文章が彼の主張の正確な要約であるのかど
うかを確かめることなく、このメモは、ハリスという人物から、マクア
ダムというエクスター在住のダービーの支持者に送付されました。ハリ
スは、批判の手紙を含めて、マクアダムにこのノートを出版することを
認め、1847年に詩篇6編からのキリストの苦しみに関する講解として、出
版されました。(訳注:以前問題となったニュートンが以前に出版したト
ラクトに加えた)トラクトの修正を行ったことを批判したダービーは、
この詩篇の講解についても批判し、ニュートンは、この考え方をアービ
ン派の人たちと同様の方法で悪魔(Satan)から得た、とダービーは非難
したのでした。
以上和訳終わり
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悪魔がすぐ出てくるのは、ダービーの癖らしいですが、以前にも書いたよ
うにいまだにその影響は、キリスト集会の中で出てきているものと思います。
すぐに自分と異なる考え方の人をサタンと呼ぶのはいかがかと思います。
同じキリストの体をなす人々に対して、軽々しくサタンの影響を受けている
とかいうのは、本当にどうかなぁ、と私は思います。特に、自分の立場と違
う人を悪魔の影響だ、と言って軽々しく切って捨てる態度というのは、適切
なのだろうか、と思います。人間は完全でない以上、自分たちが間違ってい
るかもしれない、という神の前の恐れを持つことの大切さを感じます。
それから、まぁ、著作権の概念がない社会というのは、本当に恐ろしいも
ので、本人の了解のないところで、怪文書がこんな風にどんどん印刷された
のだろうと思います。似たようなことは、現在のカルト化した教会の内部に
も、それと同じ傾向はあるようです。自分自身の考えと違う人々に対して、
指導者の考え方を批判する人々に対して、自らのあり方を省みることなく
すぐにサタンだ、サタンの影響をうけているとして、対話することなく切
り捨てていく、態度というのは、カルト化した集団の中にみられるようです。
どことは言いませんが、カルト化した教会に関しては、かなり機微に触れる
ような内部情報が、カルト化した教会の被害者の方から流される場合もあり、
それを見ている限りはサタンであるとか、サタンの影響を受けているなど、
指導者を批判する人々(内部も外部も含め)に向けて言われることがあるよ
うです。
ブラザレンは、全体として反社会行動を起こした事はありませんし(一部
には、不健全な動きとして捉えられた1960年代のテイラーブラザレンのよう
なグループもありますが)、ブラザレン自体がカルト教団やカルト集団では
ありません。ただ、単独の教会(キリスト集会)を見ていると、カルト化しか
ねない要素を内部に持っているところもところによってはあるように思いま
す。
悪霊の働きを強く主張し、他人からいわれなき攻撃をあたかも受けてい
るかのような精神構造は、どうもカルト集団に共通するもので、ブランチ・
ダビディアンのグループや、他のキリスト教系カルト、サリン事件を起こし
た某仏教系新興宗教団体も自分達は真理を語るからこそいわれなき攻撃され
るのだ、として自分を批判するものからの攻撃がある、と主張する点は構造
的によく似ていると思います。このあたり、カルト宗教の共通性を感じます。
ある集団がカルトであるかどうか、ウェブ上の情報だけでは、客観的に判
断がつかない場合の方が多いです。また、現実にその教団を数回訪れただけ
では判断がつかない場合もあります。サリン事件を起こした某仏教系新興宗
教団体の場合も、最初の段階でカルトであると判断できた人はほとんどいな
かったし、マスコミも当初は変わった集団として、取り上げていましたし、
かなり後期になっても、その本質を見誤っていた方も少なくなかったですか
ら、結局、何が正しくて、何が間違っているのか、という判断は、難しいな
ぁ、と思います。
もちろん、民事であれ、刑事であれ、宗教団体が絡んだ問題については裁判
で一定の見解は出るとはいうものの、裁判とて完全ではなく(世間的には一
定の拘束力や影響力をもつのの)、裁判で敗訴したからといって、適切でな
い行動をとっているキリスト教会の指導者やキリスト教会自体が自らを省み
るということをするわけでもなく、かえって、社会からの言われなき批判を
受けているとして、内部の統制構造を強める場合もあるので、カルト問題の
根深さを感じます。
繰り返しますが、ブラザレンは全体としてカルト集団ではない、というのが
当ブログの主張ですし、それぞれのキリスト集会が自己のカルト化の問題を他
のキリスト教会もしているような重要な課題の一つとして、聖書を基にしつつ
常に考えていく、という姿勢を維持することが大切かなぁ、と思います。
参考文献
Tim Grass(2006) Gathering to His Name, Milton Keynes,
Paternoster. ISBN 1842272209
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