ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

ブラザレンの分裂史

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Tim GrassのGathering to His Nameのp79-80では、深刻化したこの問題の

最終局面が取り上げられています。

 当初は、ニュートンの考えを支持するプリマスの集会と、ダービーとダ

ービーの考えを支持する教会全体との対立という側面だったのですが、ジ

ョージ・ミューラーとクレイクが責任を負っていたベテスダ集会が、ニュ

ートンの関係者を彼らが牧会の責任を持っていたベテスダ集会の聖餐式に

受け入れたことにより、ダービーが反感をもつことへとつながり、問題が

さらにこじれて行ったようです。以前に引用した内容にもありましたが、

ダービーは、自分が動くことがどういう影響を及ぼすかを重視するよりは、

自分が正しいと考えることをきちんと言うことを重視した人(まぁ、直情

型の方が多いブラザレンらしいといえばブラザレンらしい考え方ですが)

らしく、このダービーの性格が、ここでも問題をこじらせていったように

思います。

 Tim GrassのGathering to His Nameの80ページには、次のような 記述が

見られます。
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 この(ブラザレン)運動全体のあり方に影響を与えた分裂に関するもっとも

深刻な問題が最終段階でに発生したのでした。焦点となった問題は、誤った

考え方の教師(ニュートン)からの影響を受けた信徒との交わりを、どの程

度の寛容(Culpability)さを持って受け入れるかどうかということでした。

(訳注:ニュートンの影響を受けた信徒の受け入れに関して、受け入れると

いう方向と、受け入れないという)二つの方向性があったのですが、キリス

トの体における一致性をどう考えるのか、ということがこの二種類の対応へ

とつながりったのでした。その結果、(訳注:受け入れるとした信者の集団と

受け入れないとした信者の集団でニュートンの影響を受けた信徒の受け入れ

に関して)異なった考え方を持つ信者とともに歩む、ということが困難にな

っていったのでした。

 この分裂へのきっかけは、ニュートンの考えの支持者であるWoodfall家の

二人の信者がニュートンが自分自身の考え方が間違っていることを表明した

直後の1848年4月にベテスダ集会での聖餐式に参加することから始まりました。

その直後、ミューラーはダービーを聖書の話をするために伝道者として招いた

のですが、ダービーは、従前はベテスダ集会と関係を持っていたものの、断固

としてその伝道者としての招聘を拒否し、ベテスダがニュートンの考えを支持

する信者を受け入れた以上、今後は訪問しないと宣言したのでした。ダービー

は、ベテスダ集会がニュートンの考えを詳しく調べ、それを否定すべきだ、と

主張したのですが、CraikとMullerはキリスト論が集会での混乱の元凶となる危

険性を回避するため、ニュートンの聖書理解について詳細な検討することを拒

否したのでした。1948年5月10日にイギリス全土から、ニュートンの考えに批判

的な100人ほどの指導的な信者がのバースに集まり、この件に関する経緯につい

ての話し合いを行いましたが、決定的な結論が出たわけではありませんでした。

この問題が集会に大きな影響を与えることを避けようとしていたチャップマンは、

ダービーが過剰反応しすぎであると批判したのでした。ダービーは、彼が問題に

しようとしていたことの問題意識から、この会議の内容が横道にそれたように感

じていたのでした。

 1848年6月には、ダービーの支持者の一人の信者が、(訳注:ニュートンの問題

に適切な対処がなされていないという)誤りが起こったということを理由として、

ベテスダから分離したのでした。6月29日にベテスダでは、信徒総会を開き、そこ

で、“The letter of the Ten"と呼ばれる文章で、ニュートンの誤りを否定した

ものの、全体としての調査への参加を拒否し、ニュートンとダービーのどちらに

も組せず中立を保つ、ということを表明したのでした。この中の第6項で、ニュー

トンの考えが異端的であり、ニュートンの牧会のもとで、あまり正常でない考え

に影響されていたとしても、聖餐式への参加を認めないのは正しいとは言えない

と表明したのでした。

以上和訳終わり
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 ブラザレンの教会(キリスト集会)では、聖餐式は最も重要な典礼というか、

儀式というか、プログラムであるがゆえに、そこにだれが参加するのか、だれが

参加してよいのか、ということが非常に問題になったようです。まったく同じ問

題ではありませんが、聖餐式でのパンとぶどう酒に信者でない人が手を出してし

まったことをどう考えるのか、という問題の延長線上にある問題意識だと思いま

す。ブラザレンの教会では、信者でないものはパンとぶどう酒にとって食べたり、

飲んだりすることは原則できません。丁重にご遠慮願うようお願いいたします。

この背景には、キリストの体が聖なるものであるという意識とキリストが弟子に

命じた儀式であるため、重要であるという意識があるからです。

 誤った考え方のもとにある、ということは、キリストの命令に完全に従っていな

い方であることを意味し、従って、そのような人が聖餐式に参加させたり、受け入

れたりすることは、キリストの体を汚すことになるのではないかという意識や、聖

餐式自体が不完全なものになる、という考え方があるからだろうと思います。

 しかし、一方で、キリストの救いって、そんな人間的な考えをはるかに超えた完

全なもの、という考え方もあるでしょうし、信者の成長ということを考えたときに、

いろいろな考え方の可能性に触れ、若干間違った考え方の中にある可能性もないわけ

ではないので、それをどの程度許容していくのか、ということの重要性があるように

思うのですが。

 私個人としては、キリストの体って、そんな人間的な思いをはるかに超えたもので

あり、圧倒的な聖さを持っているものであり、罪や穢れも一つもなく、それに触れた

だけで回復があるという性質のものだと思うのですが。だからこそ、長血を患う女性

は着物の房に触っただけで完全に癒されたのですし、百人隊長の使用人はイエスの言

葉だけで癒されたくらいすごいものだと私自身は思っているんですけどねぇ。多分、

私が勘違いしているんでしょうねぇ。


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