Searching for the True Church
Brethren and Evangelicals in Mid-Twentieth-Century England by Roger N. Shuff
にもございますように、現代に生きるブラザレンのなかでも、英国や米国では、平信徒主義を捨て、牧師制度に移行するところもあり、それはそれで一つの見識かと存じます。多忙化する現代社会の中で、18世紀のスタイルそのままの平信徒主義には限界があると思っております。国内ではご指摘の通り、北海道や沖縄などで、そのようなスタイルをおとりのところがあることは承知しております。北海道という一種独立した環境が確保できることでこの種のスタイルをとることができると存じております。
こんな教会もある。
http://cristfukuinkan.web.fc2.com/
2009/7/11(土) 午後 11:18 [ - ]
こんばんは。川向さん、初めてコメントします。
所属する教団教派を客観的な視線で見て、それを記事にするのって案外難しいです、色々考えますね。川向さんのブログは、読み手にも解りやすい記事になっていますね。。。
あの〜質問なのですが、ブラザレンって集会で礼拝を捧げているのですよね、以前、川向さんが『教会に行く時』とコメントを残されていたのですが・・・集会を教会と呼んでいるのでしょうか。。。
そうそう、最近ナウエンを通してボンヘッファーに足を突っ込みつつある私です。
2009/7/17(金) 午後 8:37
みなと★さま
川向でございます。ご紹介いただいた教会は、ブラザレン運動に影響された教会のようですが、そもそもブラザレン自身教団を構成していませんし、他の教会に間接的に影響を与えておりますので、何とも言い難いところがあります。
ご紹介ありがとうございました。
2009/7/18(土) 午後 8:10 [ kaw*muk*ih ]
実の木様
コメントありがとうございました。そうですね。客観的に書くのは、難しいと思います。私は、海外に出ることで、外部の教会に集うこととなり、外部からの目で見る機会が与えられたので、それを、内部だけで過ごしておられる方に、お伝えできれば、と思っております。
教会と呼んでいるのは、ほかのキリストの体であるクリスチャンの方のためです。ブラザレンは、一貫して、集会といいます。個人的には、左翼運動を思い起こさせる名称なので、避けた方がよいと思います。明治のはじめころのように、公会という名称がいいなぁと思っていますが、定着していませんしね。エクレシアを示すいい日本語の名称があるといいのですけれども。
2009/7/18(土) 午後 8:15 [ kaw*muk*ih ]
実の木さん 続きです。
ボンフェッファー、いいですね。ただ、若干ドイツ人風なのが気になりますが。私はドイツ語が読めないので、日本語でしか読めないので、ちょっと気になりますが、言っていることは、非常に重要なことを主張していると思っています。
2009/7/18(土) 午後 8:17 [ kaw*muk*ih ]
http://cristfukuinkan.web.fc2.com/
に私は所属しています。
今では牧師制度を取ってます。
この教会(集会)の開拓者は、はるばる京都の
集会から開拓者の地元延岡にやってきて伝道を
初めて行きました。
今は、名残として福音館という名称+毎週の聖餐式や、兄弟の
持ち周りの各部の奉仕は変わっていないそうです。
ある時から集会の中でも主力の兄弟たちが欠け、開拓当時から集い、っていた、甲斐師が教会(集会)で一人で奉仕していくうちに、色々な体験を通して教会として牧師として働くようになったそうです。
彼らは、神学などを嫌い、専心伝道者と言う形で働いています。
宮崎市にハーベストチャーチという教会の伝道者高木師が、開拓をして私たちの教会は、今に至ってます。彼も集会系から出た専心伝道者です。
一粒の麦にはものすごい力があります。
地に落ちて実るまでに色々な苦節もあります。当教会の開拓者高木師は実にすばらしい方ですし、牧師もすごい人だと感じています。
2009/7/20(月) 午後 11:05 [ - ]
私は、あるときに交わりをしていて通っている教会の名を
もうした所、そこは教会じゃない。集会だ。と批判を受けた事があってプリマスブラザレンということを知りました。
札幌キリスト福音館や、釧路キリスト福音館あたりも最近は教会として牧師制度を挙げているようですね。
集会系で言えば、東住吉や吉祥寺などが有名な所ですね。
僕が思うのは、集会系で挙げている役職のない制度。
このような教会を目指しています。
献身とは、牧師や伝道者になると言うような捕らわれではなく、
キリスト共に生きると言う考えでいます。
私は今、婚活中です。ある方と交わりをさせていただいた時に、結婚するに当たって立場が大切だ。と申された方がいました。
組織や階級などがものを言うのであれば、私たちはキリストと生きている意味がないような気がしました。
2009/7/20(月) 午後 11:15 [ - ]
みなと★さま
コメントありがとうございました。
今では牧師制度を取ってます。
>この教会(集会)の開拓者は、はるばる京都の
>集会から開拓者の地元延岡にやってきて伝道を
>初めて行きました。
開拓初期のころ、1978年の夏に、その地での奉仕の協力に当たるために神戸から移籍された英国人伝道者の引越しの手伝いをするため(邪魔するため?)その地の集会(当時は家庭集会)にお邪魔したことがございます。高木さんにはそのときにお会いしてことがございます。えらい元気のよい方だったという記憶が鮮明に残っています。
>甲斐師が教会(集会)で一人で奉仕していくうちに、色々な体験
>を通して教会として牧師として働くようになったそうです。
続きます。
2009/7/21(火) 午前 11:59 [ kaw*muk*ih ]
続きます。
Searching for the True Church
Brethren and Evangelicals in Mid-Twentieth-Century England by Roger N. Shuff
にもございますように、現代に生きるブラザレンのなかでも、英国や米国では、平信徒主義を捨て、牧師制度に移行するところもあり、それはそれで一つの見識かと存じます。多忙化する現代社会の中で、18世紀のスタイルそのままの平信徒主義には限界があると思っております。国内ではご指摘の通り、北海道や沖縄などで、そのようなスタイルをおとりのところがあることは承知しております。北海道という一種独立した環境が確保できることでこの種のスタイルをとることができると存じております。
ただ、高木さんは、聖霊の働きに関する理解の違いのために、諸集会からはある面関係が切れてしまったと理解しておりますが、水面下でのブラザレンの方々との連続性はあると思います。ただ、本文ではそれを書くと誰かを何らかの形で傷つけざるを得ないので、記述することを自戒しています。
続きます。
2009/7/21(火) 午後 0:22 [ kaw*muk*ih ]
>私は、あるときに交わりをしていて通っている教会の名を
>もうした所、そこは教会じゃない。集会だ。と批判を受けた事があって
>プリマスブラザレンということを知りました。
教派の方にブラザレンの受けが非常に悪いのは、戦後の一時期(一部では今なお)教会の信者の切り崩しと取られない行動(既存教会のあり方を否定し、自分たちが聖書的だとして、教会の信者の勧誘をする行動)があったためでございます。今なお、60-70代の牧師さんには、そのときの苦々しい思いが残っていると思います。ブラザレン側の信徒の無知ゆえのこととはいえ、他の教会の批判は控えるべきであったというのが私の理解です。まぁ、ルターやカルヴァンがカトリック教会を悪魔の手先呼ばわりしたのと同じろんぽうで、プロテスタントの既存教会を悪魔の手先呼ばわりしたわけですから、批判を受けても致し方が無いと思います。この辺の感覚の無さが、平信徒主義ゆえの危険性だと思います。
続きます。
2009/7/21(火) 午後 0:24 [ kaw*muk*ih ]
日本のブラザレンには、ウェールズにあるエコーズサービスのような包括的な組織が全く無いために、個別境界の変遷を知ることができず、何がどうなっているのかさっぱり分からなくて、個別の集会史を積み重ねていくしかないという現状であり、キリスト集会史を知ろうとする歴史家にとっては、非常に厳しい状況にあります。
>集会系で言えば、東住吉や吉祥寺などが有名な所ですね。
数が多いという意味では、ご指摘の通りでございますが、歴史の古さと影響力の大きさと言う意味では、大京町、府中(東京)も忘れてはならない集会でございます。集会内外で有名かどうかよりも、キリスト集会であれ、キリスト教会であれ、キリスト者共同体としての信者の神にある成長こそ、目を向けるべきと存じます。
2009/7/21(火) 午後 0:25 [ kaw*muk*ih ]
>僕が思うのは、集会系で挙げている役職のない制度。
>このような教会を目指しています。
そのような意味では、出発時点でのメソジストが歴史的には基本的にその立場を取りましたし、メノナイトブラザレンやボヘミア兄弟団もそのような形を取りました。他にも、そのような集団はいくつかあり、それをまとめたものとして、ブロードベントという人の「信徒の諸教会」(伝道出版社)があります。
>献身とは、牧師や伝道者になると言うような捕らわれではなく、
>キリスト共に生きると言う考えでいます。
この考え方は、非常に重要だと思います。ところで、ヘンリー・ナウエンは読まれましたでしょうか。何冊か手ごろな書物がありますので、そちらもお読みになられると良いかと。あと、この分野を考えるのであれば、ボンフェッファーの著作も非常に重要だと思います。
続きます。
2009/7/21(火) 午後 0:29 [ kaw*muk*ih ]
続きです。
>私は今、婚活中です。ある方と交わりをさせていただいた時に、結婚するに当たって立場が大切だ。と申された方がいました。
>組織や階級などがものを言うのであれば、私たちはキリストと生きている意味がないような気がしました。
お話になられている方の直接のご発言の趣旨が分かりかねますので、なんとも申し上げかねますが、これは、神と聖書に対する立場と言う意味ではございませんでしょうか。教会政治的の立場が重要だというのであれば、そのような考え方は、ご指摘の通りナンセンスでございます。全ての信者は全ての信者のための奉仕者足るべし、というキリストの教えとは相容れないものと思いますが、日本ではその福音伝道の進展の歴史的経緯から、歪んだ考えをお持ちの方がおられるように思います。
2009/7/21(火) 午後 0:30 [ kaw*muk*ih ]
最後でございます。
日本のキリスト教信徒の教会論が歪んだことに関しては、最近出ました、中村敏さんの「日本キリスト教宣教史 ―ザビエル以前から今日まで 」(いのちのことば社)と古屋安雄 さんの「なぜ日本にキリスト教は広まらないのか 」(教文館)を読まれると謎が解けるかもしれません。ブラザレン系教会では、基本的な教会史を知らない方が、限られた知識で表面的な既存教会批判をするために、多くの信徒の方が教会の実情を知らないまま批判するので、多くの誤解が生まれる行動が見られるように思います。
ご指摘のように、ブラザレンの信徒が他の教派の方とお付き合いするためには、日本教会史の知識をある程度得ていることは有益だろうと思います。
いずれにせよ、コメントありがとうございました。謎となっていた宮崎地区での開拓伝道の空白部分がご指摘により埋まりました。関係が無いと現地調査として聞き回るわけにもいかないので、謎となっておりました。宮崎地区の開拓問題の解決がついただけでも、みなと★様のコメントは、私にとっては非常にありがたいものでございました。ご教示感謝いたします。
2009/7/21(火) 午後 0:35 [ kaw*muk*ih ]
今月の30日から一ヶ月間鹿児島の教会に奉仕に行ってまいります。
鹿児島や宮崎の集会にもできれば寄せていただこうと思っています。
2009/7/22(水) 午前 2:02 [ ぷにょす ]
のっぞん 様 おはようございます。
鹿児島に行かれるとのこと、今年は降灰が非常に激しいらしいので、健康が守られますよう、お祈り申し上げます。
http://yutakanaizumi.blog.so-net.ne.jp/
生望バプテスト教会(鹿児島県)には、軽井沢バイブルキャンプで長らくスタッフをしておられた多胡さんがいらっしゃるので、一度尋ねて見られては。
2009/7/22(水) 午前 8:35 [ kaw*muk*ih ]
川向さん
ご回答ありがとうございました。
>教会と呼んでいるのは、ほかのキリストの体であるクリスチャンの方のためです。ブラザレンは、一貫して、集会といいます。
川向さんのお心遣いだったのですね♪ブラザレンではないですけど、クリスチャンの入院患者さんの中には、集会で礼拝を捧げている方も多かったと思います。
2009/7/24(金) 午後 0:37
実の木 様
コメントありがとうございました。
>川向さんのお心遣い
というわけではありませんが、世間様で通用しない言葉を使うことにこだわる意味って、ないんじゃないかなぁ、と思っています。誤解を生むだけですし。
リック・ウォレンの『健康な教会へのかぎ』で訳されていない部分に、ホザナホザナと歌っても、外部の人たちには、マンボマンボと歌っているのと変わらない、というような表現がありましたが、それと同じことなので、私は幅広いキリスト者の方々とのコミュニケーションを大切にしたいと持っております。
2009/7/24(金) 午後 10:23 [ kaw*muk*ih ]