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これまでのこのブログで、天幕伝道についての時代背景、
天幕伝道自体、社会背景の中から生み出されてきた伝道方
法であったことをお知らせしてきました。
人文地理学のちょっと前にはやった概念にGeography
as Social Constructionという概念がありますが、この
概念は、ものすごく大雑把に言ってしまえば、時代背景
や社会背景の中で人々の地理的空間における行動が影響
されてきた、あるいは、決まってきたという概念ですが
このような視点からの伝道への理解という概念を持つこ
とも大事かなぁ、と思います。
日本では、路傍伝道、天幕伝道、公共施設を借りての
講演会スタイルの伝道、映画伝道なんかが行われてきま
したが、天幕伝道は、都市部での空き地の実際的な消滅
によって中断され、公共施設の講演会スタイルの伝道は
継続されているものの、人を集めることが困難になりは
じめ、映画伝道では、使える映画が少なく同じ映画の繰
り返し(蒸し返し)になり、路傍伝道では足を止めてく
れる人は少なく、自動車やパチンコ屋さんの騒音にかき
消され、トラクトは、撒いたとしても路上やゴミ箱にあ
ふれ、という現状を考えると少し悩ましい思いになります。
しかし、生きる希望(集会用語でいう『救い』)を求め
ている人は少なからずいるわけで、そのような方々が
『救い』を求めていることをまず認識してもらい、その
認識を持って教会(集会)にこられたときに、どのよう
な希望を語れるか、それが示せるかが、大事かなぁと思
います。
人々が家から出たがらない時代に、家にこもりそうな
人々に楽しいこととは何か、楽しいと思えることは何か
を考え、実際的に体験できる楽しさとともに、神ととも
に生きることの楽しさを伝えることが、一つの集会の役
割だと思うのです。その意味で、実際に社会に生きる人
々に最も響く伝道方法とは何か、を考えることが重要な
のかなぁ、ということを考えないといけないのかなぁ、
と最近まじめに考え始めています。
最近読んだ、「なぜ日本にキリスト教は広まらないの
か」という書籍や、「メードインジャパンのキリスト教」
を読むかぎり、プロテスタント系のキリスト教はそもそも
限られた人たちを伝道対象にしてきた特殊なキリスト教
ではないか、ということを思わされます。ブラザレンも、
もともとはそうでなかったにせよ、私自身の批判を含め、
いつしかそうなって行ったしまったような気がしなくも
ありません。その意味で、キリストのメッセージ、いき
るいのちの希望を伝えること(伝道)をどのように考え
るのか、その方法をどのようにするのか、バーチャル・
リアリティ、サイバースペースの時代におけるリアルな
教会というもの、集ることの意味をまじめに(批判哲学
の意味で批判的にまたはクリティカルに)考えることが
必要なような気がします。
天幕伝道が、ある時代背景と社会背景の中で要請され
たのだとすれば、現代の時代背景、社会背景の中、どの
ような伝道が望ましいのか、そのことを考え、従来とは
違う形での神の言葉と霊的な安全の保障(救い)を、
クリスチャン用語を使わずに伝えるための実験を試みる
ことが必要かも知れません。
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