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これまでのところで、普通の民家のようなところで伝道活動をしている
キリスト教会が多いというお話をしましたが、最近は、大規模なキリス
ト集会では、かなり大きな規模の施設で明らかに教会と分かるような
建造物を持つところも増えています。大規模な人数のキリスト集会
関東、特に群馬県下や北海道地区、関西でも数か所あり、100名以上
の信者からなるキリスト集会も時に見られます。
家庭集会から出発した時代の影響もあり、教会運営は、従来のスタ
イルのままということで、このような大規模集会の運営はかなり厳し
いものがあると思われます。その意味でも、時代に合わせ、それぞれ
の教会運営のスタイルに合わせた教会の管理運営の仕組みづくりが
必要になっており、石浜義信著「みことばを指針として」では、その
ことについて、子育てという観点からの言及が見られます。私個人と
しては、時代とともに伝道方法を変えてきたキリスト者集団であるキ
リスト教会は、過去の伝統に必要以上に振り回されることなく、それ
こそ「みことばを指針」としつつ、適切な教会運営を考えるべきだろ
うと思うのです。キリスト集会の伝統に振り回されるのなら、キリス
ト集会が非常に強くその姿を否定したカトリック教会のある部分の姿
と重なると思います。カトリックの信者の方もいろいろ、教会もいろ
いろなので、個別差が大きいですが、集会の伝統があまりに尊重され
るのであれば、あるいは、ある集会の方法が参照点であることを超え、
一つの指針となっていくのであれば、外形的に見れば、同じ構造をも
つ社会集団(カトリックと同じ)ということが言えなくはありません。
その面でも、今後の在り方の検討をそれぞれのキリスト教会(キリス
ト集会)がそれぞれの単立のキリスト者集団のキリスト教会として、
主体的に判断し、主体的にものごとをすすめていく必要があるのでは
ないかなぁ、と思います。
それぞれのキリスト集会のおかれた環境や状況が違いますし、時
代が変化していることをここのキリスト集会が読み解いて、自分た
ちの歩むべき姿を考え、模索していく必要があるのではないかなぁ、
と思います。
でなければ、その存在の在り方、伝統・ローマ方法と法王庁の理
解を重視しているとして、強く批判したカトリック教会と保持して
いる聖書理解や伝統の内容が異なるだけで、していることは、外部
の人が見たときには、外形的に同じことをしている、と理解される
のではないかと思います。
聖書をもとに、素朴に考えるという基本方針とイエスが神である
ことを愚直に伝え、神がともに生きようと呼びかけていることを伝
えるその純粋さを残しつつ、人々へ聖書理解のプレゼンテーション
を適切に行う仕方を再検討していく時期に来ているのかもしれませ
ん。
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