ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

ブラザレン

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集会とその建物の歴史について、次のようなコメントをIさん

から頂戴しました。ご紹介したいと思います。Iさんは、

関東地方の方で、昭和20年代からの集会の歴史をライブで

体験された方、とご紹介いたして起きます。

■コメント1

なぜ、ブラザレンが家庭集会を重視したのか、の記事に対して、

いただいたコメントです。コメント部は太字にしてあります。


聖書のみことばに忠実に、というキーワードから、

パウロの書簡(筆者注ローマ16:5・Iコリ16:19)にある「家

の教会」プリスカとアクラのテントでの「自給伝道」など使徒

時代の集会のあり方を理想としていることもあります。


 というコメントを頂きました。もちろん、そういう部分がある

事も認識しています。特に、「家の教会」が、理想となったと

いうことは、とりわけ初期の英国及び日本のブラザレンの活動

で典型的に見られた考え方であり、一時期、日本では、20人以

上いる集会は、規模として適切ではないのか、という理解やそ

のようなご意見をお持ちの方もおられたようです。

 実際、200人程度からなる一般の教会に1年近く通ったものと

すれば、200人は確かに多すぎ、200人規模の教会では、閉じた

非常に親密な信者間の関係構築のため、家の教会ならぬスモー

ルグループ活動を複数の家庭で実施することで、信者同士の親

密さとともに祈りあう関係を具体的に目に見える形として体験

できるようにするなどの工夫がありました。

 ただ、もし、「家の集会」や小規模集会を理想としているの

であれば、現在のかなりのキリスト集会がとっている20人程度

が施設を保有・賃貸し、施設で集まっているキリスト集会の運

営方法は、理想的ではないことになります。


 であるとすれば、そのことは、集会の理想とは、矛盾してい

るわけですが、理想と矛盾していても、実際にこのような方法

で行われている背景には、現実的な理由があると思います。

理由1)
 集合的な神の働き(聖霊の働き)がある

理由2)
 数多く集まることで、多様な聖書理解に触れる機会が増加し、
その結果偏った聖書理解に至る可能性を防止できる


理由3)
 家庭集会の場合、深刻な対立が発生した場合、解決策が限ら
れる


などなどだと思います。個人的には、「家の集会(教会)」の

よさを残しつつ(密接な信者間の信頼関係の醸成)、健全な聖

書理解の展開をどのように実現していくのか、が重要かなぁ、

と思っています。


■コメント2
地域集会が、家庭集会を基礎として広がっていったことに関して、


「使徒」時代の集会がこのようにして、広められていったので、

それに倣っているともいえます。

 まずは、家庭集会からという思いが根底にあるかともいえますが、

それもまた聖霊の導きによるものとなります。


使徒時代へのこだわりは、確かにその通りですが、実は、使徒時

代にも実際にはかなりの人数が集まっていたと思しき例があり

ます。たとえば、ユテコの事件の時や、コリントがかなりの大人

数からなる教会であったことは、食事をしている人やいない人た

ちが共存している状態であったことからも推測できます。実際に

狭い個人宅での集会の限界は、やってみるとよくわかるのですが、

(実際にしてみていたことがあるが、諸事情で中断中)実際に

いうとするとでは大違い、という部分はあります。

 実際に狭い住宅での集会についての限界が見られる中で、

分離していったようです。特に、これまでのローワさんの取り

まとめ記録からもお示ししたように、1948年以降の東京での集会

の設立パターンを見ていると、その限界への対応という側面が大

きいと思います。

 ただ、1960年に京都集会が建て、2009年に取り壊された集

会所を建てたときには、2階建てとは贅沢だ、という批判を

浴びた、という表現が2009年10月末の献堂式のときの表現に

あったことからも、1960年代当時の一般の集会は、非常に小

規模なものであったことが推測されます。

 さらに、京都の2009年の建て替えについても、そのような

参加人数に対する収容キャパシティの問題と建物事態の老朽

化の問題も建て替えの背景になったことが、建て替えの経緯

として語られています。

 聖霊の導きは、それぞれ、その集会により、またその時代

により同一ではない、と思われますので、その時代時代、環

境ごとに、判断されるべきものと個人的には思います。

 聖霊の働き、といった時に、聖霊が同一であれば、時代を

超え、社会を超え、環境を越え、文化を超えて同一という理

解もありえますが、旧約聖書を見る限り、これはそういえな

いのではないか、と思います。

 ところで、日本では、聖霊、というと粘っこいまとわりつ

くようなものとしてイメージされますが、どうもパレスティ

ナや地中海世界を見る限り、もっとさらさらして、かなり自

由でその強弱がかなり変わるもの、という印象があります。

 この辺、各言語が生まれた環境により、同じ聖霊とはいえ、

聖霊という語が各国語により与えるイメージはかなり異なる

ように思います。

 次回に続きます。(続くのはコメントそのお答えの方)


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