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ブリタニカなどの英米系の百科事典で調べて
もらえるとわかるのですが、Scofield Study
Bibleという書籍が、20世紀の初めころに発売
されました。この聖書は、ScofieldがKing
James Versionの英訳聖書にScofieldの理解に
よる聖書の解釈を付けた聖書です。このバー
ジョンの英語版の聖書が20世紀初頭Oxford
University Pressから出版され、その当時
非常に多くの影響を与えた大衆伝道家であった
D.L.Moodyなどが影響を与えた福音派の神学校
では、利用する聖書として幅広く利用された
ようです。特に、この時期は、中西部開拓が
進行中であった時期で、いわゆるバイブルベ
ルトと呼ばれる中西部から南部一帯の開拓に
向かった人々が開拓地に持っていった聖書
がこの聖書だったようです。
それとともに、スコフィールドは便利のため、
と思ってつけてあげたのでしょうが、彼はおそ
らく予想しなかったとおもいますが、スコフィ
ールドの注釈(その大半は、一般的解釈だと思
いますが、預言の部分は、かなり大きく特定の
聖書理解(ディスペンセーション説)に依拠)
が、あたかも一般的な聖書理解であるかのよう
に誤解され、かなり特殊な聖書理解である可能
性が高い(それまでの中世から近世までの聖書
研究に見られない)ディスペンセーション仮説
または、天啓史観が、一般的なものと理解され
ひろまったのではないか、と推測しています。
聖書を素直に読み、聖書を熱心に読み、聖書を
大切にする伝道熱心な福音派の牧師、宣教師、
神学校の教師の間でこのバージョンの聖書は、
1920年代に急速に広まったということがあった
ようです。
そして、デイスペンセーション説が、Scofield
版の聖書とともに印刷され、聖書の一部として
みなされる中で、あたかもそれが聖書的な理解
で、かつ伝統的な聖書理解であるかのように広ま
ったと思われます。なにせ、聖書と一緒にかの
オックスフォード大学出版局から出されている
聖書に書かれているのですから。
実際、O.J.Smithという人が書いた『神に用いら
れる人』という本の中では、世界で最も素晴らし
い書物の位置づけがほかならぬScofield版聖書に
与えられています。本来、この種のことに
敏感であるべき牧師、宣教師、神学校の教師の
間で、この考え方が伝統的で重要あるかのような
誤解が生まれたことは、不幸だったと思います。
Dispensation仮説が異端的であるとは言いませ
んが、それを客観視して、他の人々との聖書理解
との比較の中で考えてみること、あるいは、素直
に聖書理解していく中で、その考え以外の自由な
発想から得られる聖書理解との関係を今一度考え
てみる必要があるというのが、Bassの主張ですが、
それはそうだと思います。私は、このBassの考え
に賛成です。他者の聖書理解を率直に認めたうえ
で、Dispensation説に立つもよし、修正するもよし、
それを批判することも可能である、ということは
言えようかと思いますし、そのような知的冒険を
する自由度があってよいと思います。
歴史家に、「もし」で始まる質問は許されない
ことではありますが、Scofield版聖書が、Oxford
University Pressから出されず、もっとわけのわか
らない出版社から出されたのであれば、世の中変わ
っていたかもしれないと思います。Oxford University
Pressのような信用度の高い出版社から出されたた
めに、出版社の世間的な信用が独り歩きし、過去に
類例を見ない聖書理解が広がったとすると、悲劇と
しか言いようがありませんし、そのことは我々が透
徹した思考作業をすること、ブランドにだまされな
いことが大切だと思うのです。
有名な聖書学者でも間違います。有名牧師でも、
高名な信者(世間的にも高名な方で医療者の方)で
も、その行動に疑念を持たざる方もいます。だから
こそ、変な権威性に頼るのではなく、テキストを基
礎に自分自身の『神学』を神との関係の中で深めて
いくことが大切なんだとは思うんですがねぇ。それ
こそ、ブラザレン運動がめざしたところ、だったと
思うのですが。
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