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艱難について、大艱難時代について、ディスペンセーション説に
ついてのBassの41-42ページを要約すると、こんな感じになるで
しょうか。
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ある艱難(大艱難時代ではなく、複数の艱難がありえるであろう
という意味で、単数形で『ある』ということに強調がある表現に
なっていました)についての粗い表現が、エレミヤ30章、ダニエ
ル12章、マタイ24章、黙示録7章で示されている。艱難自体は、
伝統的に語られてきた千年王国前に携挙があるのではないかとす
る説(前千年王国説)の特徴でもあったが、艱難の目的をどう考え
るのが、ディスペンセーション説以前からある伝統的な議論とデ
ィスペンセーション説とでは大きく異なっている。ディスペンセ
ーション説では、ユダヤ王国との関連で大艱難時代を捉えるが、
伝統的な千年王国前に携挙があるのではないかとする説では、大
艱難時代という議論はなされていない。
この種の時代区分についての解説図は、Larkin
(http://www.larkinestate.com/Charts/chartlist.htmlで見られます)
やBlackstoneなどが書いているが、Beckwithは大艱難時代を以下のよう
に要約している。
教会が携挙によって地上からとりさられ、その後の7年は、3年半ずつ
に分割される。7年の前半部分は、イスラエルはアンチキリスト(終末
に滅びると想定されている)との契約の中にあり、後半は、アンチキリ
ストに対するサタンの支配と、「ヤコブの困難の時代(time of Jacob's
trouble)」により始まるが、この7年間の艱難時代に王国の福音(原注:
恵の福音ではないことに注意)が述べられ、14400人のイスラエルの残り
のものがえらばれ、この7年後にキリストが王国に戻ってくるときまで艱
難時代を生き残るのである。
この大艱難時代の考えかたは、ディスペンセイション説のシステム全体
にわたっており、イスラエルと教会の対比がその根底にある。艱難にあう
のがイスラエルである以上、イスラエルの残りのもの(レムナント)が集
められる前に教会が取り除かれることになる。神の人間に対する対応が異
なるとする考え方、つまり、恵と律法を対比して考える考え方が、この艱
難の目的の捕らえ方の考え方の背景にある。
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私が、子供時代1975年前後に聞いた預言理解の話では、主に話してくれた
方が、石濱義則さんという人だったこともあり、艱難後に再臨があるという
説をよく聞きました。神は哀れみ豊かな人であるので、キリスト者を艱難に
は合わせないであろうという説に立っていたアルバート・デクスターさんも
おられたので、結果としては両論併記なのかなぁ、と受け取っていましたが、
やや石濱さんのほうが話す回数が多かったことと、話し方が面白かったこと
などもあり、艱難にあったら大変だ、という気分だけが子供心に先行してい
たように思います。艱難後再臨説を聞く回数が多かったこともあり、ここで
言っているほど、明確な艱難時代の想定ではなかったように思います。その
意味で、一方の議論だけが幅を利かせている状態ではなく、両論併記状態に
置かれたためか、未だに分からんことは分からんし、預言は実現してみるま
で、実現したところで、本当のところは分からないかもしれないなぁ、とい
う現在の私の預言への理解の原型が、このころに生まれたように思います。
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