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ブラザレン運動がアイルランドで始まったことによる影響を 書いてきましたが、最後に植民地としてのアイルランドとい う視点からこの視点を考えてみたいと思います。 日本人には、わかりにくいのですが、英国で最初の植民地経営 がされたところとしてアイルランドは位置付けるのが良いよう です。スコットランドは、いまだにエディンバラ公という名目 上のスコットランド王(エリザベス2世の夫)がおり、英国の皇 太子はプリンス・オブ・ウェールズであることが示すように、 ウェールズでも、スコットランドでも、実質的には、大英帝国の 一部をなしているものの国家としての王制の名残は残っているの ですが、アイルランドでは、スコットランドやウェールズのよう な形で王制の名残は残っていません。それだけ、徹底的にクロム ウェルが征服行為をしたということなでしょう。そういうわけで、アイ ルランドはクロムウェルの時代以降冷や飯を食います(食わされ続 けるというほうが正確でしょう)。 ちなみにイングランド王で、アイルランド王を最初に名乗ったの は、エリザベス1世の父であるヘンリー8世らしいです。もともとは 貴族の集団とうちがされていたようです。だからこそ、アイルラン ドはアイルランド共和国でないと行かんようです。 つまり、落下傘のように英国系の人たちが北アイルランドに降 ってきて、それが支配体制を作っていく、ということが当たり前に 行われた(その結果の恨みが積もっている)ということのようです。 こういう精神性は、伝道にある面、影響を与えているかもしれ ません。未開の大地(クロムウェル時代のアイルランドがそうだ とは言いませんが、クロムウェルにはそう見えたのかもしれません) に乗り込んでいって、そこの新しい秩序を作り上げる。それの根拠 となる聖書がある。そして、新しい秩序としての教会(集会)を 作り上げていく、英国系アイルランド人ならではの発想のように思 います。 そういえば、初期のアイルランドのブラザレン運動の指導者たち には、英国系の貴族の家系の出身者がやたらと多いのも、関係が ありそうです。彼らには、カトリック世界という伝統にどっぷりつ かった(確かに一部のカトリックには、ハロウィーンのように異教 的な伝統もある)未開の大地に住むカトリックの人々に聖書の伝道 を、という精神性がアジアやアフリカの大地に置き換えられながら 伝道が進められていった、ということもあるかもしれません。 もちろん、多くの宣教師が純粋に福音を伝えたい、という思いで 母国を出発したことは間違いはないことですが、しかし、最初の 出発点で持っていた国民性というのか、言語や社会に埋め込まれて いた暗黙の前提の影響も全く見逃してはならないと思います。 しかし、英国史の知識が薄いのは困ったものです。書いていて 苦労します。まだ、未消化の部分もあるので、それはおいおい 英国史(アイルランド史)などをもう少し勉強しながら、文章化 していきたいと思います。今回は、ここでこの連載を終わりたいと 思います。 次回からは、ブラザレン運動と聖霊論、そのあと、女性伝道者 (宣教師)という存在について、しばらく考えてみたいと思います。 |
ブラザレン
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