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ブラザレン運動に関係しておられる方では、日常生活でも 聖霊の働き、ということをかなり重要視され、さまざまな 場面で、聖霊の導きがあったとか、なかったとか、という 言い方がされることがあります。聖霊の導きがなかった という言い方の別の言い方として、平安がなかった、と いう言い方をされるかたもありますし、聖霊の導きがあっ たということの別の表現として、平安があった、という 言い方をする場合もあります。 たとえば、就職とか、結婚とか、家とか車を買うとき などにも、このような表現をされる方も時に見られます。 全員が全員というわけではありません。かなり、個人の とらえ方が違うところはあるように思います。 そういう意味では、聖霊の働きについては、かなり穏健 な立場に立っているといえます。 ただ、日曜日の礼拝(聖餐式)とかでは、導かれた方が 祈る、と想定されている教会(集会)もありますし、日曜 日や平日に開かれる聖書研究会や伝道集会と呼ばれる聖書 を開いてお話しする機会でも、導かれた兄弟によって語ら れる、とされている教会(集会)が多いようです。 語られる言語は、基本的にその人の母語、またはその 教会の共通語であり、異言で語られる、ということはあ りません。その意味でも穏健な立場だと言ってよいと 思います。だからと言って、聖霊とその働きを軽視して いるわけではなく、それは尊重しつつも人間の関与も 認めているということだと思います。 |
ブラザレン
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伝道出版社の「異言」についての冊子を読んでみて、やっぱり否定なのね、と思ったのですが、ブラザレンの主流は、ノン・カリスマなのでしょうか?アンチ・カリスマなのでしょうか?
2010/4/23(金) 午後 10:03 [ g_topspeed ]
鳩様
主流派は、ノン・カリスマだと思います。特別な環境でのカリスマの出現は否定はしていませんが、現代の通常社会でのカリスマの出現については、かなり否定的で、アンチ・カリスマに近いと思います。
カリスマの意味が、異言とか癒しとか、人間の世界で通常観測されない特別な出来事としての聖霊の働きに関してですが。
ただ、完全にカリスマを言い出す人がいないか、というと、いないわけではなくて、過去に、このカリスマをめぐって、不幸な分裂を経験したキリスト集会(教会)が少なくとも10以上あると認識しています。たいてい、カリスマを主張する信者群のほうが、分離して独立していくということが多いようです。
2010/4/23(金) 午後 10:18 [ kaw*muk*ih ]
やはりアンチに近いのですね。
予想通りですが、残念です。
確かに、聖書的ではない現れ、扱い方が氾濫し、まったく証になっていない部分がありますので、当然といえます。この部分、大いに反省し、考慮するところです。
回答ありがとうございました。
2010/4/23(金) 午後 10:25 [ g_topspeed ]
そうですね。ブラザレンでは、アンチに近いです。
もともと、ブラザレン運動の多くの方はイギリス国教会(日本では聖公会)のアイルランド教会(Church of Ireland)からの分離派が主体、その一部にクェーカー(友会)、バプテスト派などからの流入で出来上がっているので、聖霊の導きは重視しますが、聖霊の表れは基本的に重視されていないようです。
ただ、個人的な癒しの事例が現在も確認されていますし、そのことを求めて祈りますので、完全否定ではないです。ただ、見世物的になりがちな癒しの側面や伝道の手段としての癒し、奇跡、異言には、非常に冷淡です。
癒しや異言は否定しないものの、主の臨在と関与の結果としてのものであって、個人の信仰深さや個人的な栄光の追求、伝道のため、というのは、結果の目的化となっているようで、いかがかなぁ、と個人的には考えています。
栄光は神のみに帰せられるべきものかと。
2010/4/25(日) 午前 7:10 [ kaw*muk*ih ]