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以下では、救い主の資格と題する、石濱義則さんと思われる方 の記事をご紹介したいと思います。 -------------------------------------------- 救い主の資格 救い主というものには特殊な資格が必要である。先ず第一に 天より降りし者 ということが絶対に必要である。いかなる起重機でも自分自身 を一寸も上げることはできない。そのごとく我らは自分自身を一 寸も上げることはできない。飛行機その他のものによって一時 上に登りえてもそれは空気という山に登ることであって、大気外 に逸出することはできない天において同様である。故に人類の 罪に対して来らんとするところの神の怒りを逃れて滅ぶべき地よ り天に行くことは、地上に生まれた我らにとって絶対に不可能で ある。故に天より降りしものということが救い主として必要な資格 であった。「天より降りし者、即ち人の子(キリスト)のほかには、 天に昇りし者なし」「わが天より降りしは我が意を為さんためにあ らず」と言い給いしキリスト、聖霊により孕(原文かな:みごも)ら れ給いしキリストのほかに天より降りし者はない。次に 罪なき者 ということが必要条件である。何故かならば罪ある我らの代わりに 罪ある者が死んだとて何の役にもたたぬからである。一文無しの貧 乏人が他人の借金を返済してやることはできないと同様である。ゆ えに全人類の罪を取り除いて之を開放するという事は清浄無垢なる 者にとって初めて出来得ることである。ところがイエスキリストの罪 なきことを証明した人が四人ある。まず第一に主御自身が「汝等のう ち誰か我を罪ありとして責め得る」と言いたもうた。次に「石にて主を 打たんとしたユダヤ人らが汝を石にて撃つは善き業の故ならず?言 (原文かな:けがしごと)の故にして汝人なるに己を神とするなり」とい い、?言の他に主を撃つ口実を見出し得なかったのである。次にイエ スを調べた総督ピラトがイエスをユダヤ人の前に連れ出さんとして 「視よ、この人汝らに引き出す、これは何の罪あるをも我が見ぬこと を我らの知らんためなり」といった。次に十字架に死に給いし主を見て 百卒長が「実にこの人は義人なりき」といったのである。斯の如き完 全なる義人はキリストの他に絶対にないのである。次に 全能者 ということが絶対条件である。そもそも人を救うということは並大抵の ことではない。それも貧乏を救うとか病気を治すとかいうのではなく死 より救いて命に入らしむるという天地創造否或いはそれ以上の大事業 は生殺与奪の権を持ち給う全能者でなければ出来ない事である。我ら の主イエスキリストの御伝記は奇跡と不思議の連続である。あらゆる 種類の病人(中風、ハンセン氏病(転記者で変更)、生来の盲者等も含む) を立所に癒し、死人を蘇らせ(三人も)、波風を鎮め、五千人を5つのパン にて養い、その他列記し難き程の大能を現し給うたキリストの如き全能者 は、全世界広しと雖も他に一人もないのである。 いまだ他に帰すべき条件がある。が紙面の都合上次の機会に譲る。願 わくば真の救主なる主イエスキリストを信じて、完き平安と永遠の生命と を受けられよ。(Y・I生) --------------------------------------------------------- 伝統的な救いが人間の力によらないことや自己完結しないこと、罪の問題 の解決が人間には不可能なこと、全能者による救いが必要なこと、という論 法で、議論を展開しておられます。ただ、短い文章ですべてのことを語ろうと しているため、かなり無理のある議論になっているように思います。伝道文章 は、教会(集会)に来させるトリガーあるいはティーザー(聞いてみようとする 気にさせるもの)という側面がありますから、これはこれでよいのかもしれま せん。昔の伝道スタイルの一端に触れるような気がする文章です。 |
ブラザレン
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