ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

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Tim GrassのGathering in His Nameの中pp. 153‐4から、定期刊行物

について述べた部分から、ご紹介しながら、考えてみたいと思います。

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1890年代から1910年代までの時期に出版された定期刊行物としては、

1891年にRitchieによってはじめられたThe Believer's Magazineがある。

北東スコットランドでRitchieは回心し、その後彼はブラザレン運動に身を

投じ、The Witnessという雑誌の前身を創設することとなった。彼は、この

雑誌にたびたび記事を投稿し、ブラザレン運動に対して教会から向けられ

た否定的視点に対して反論を提示した。その意味で、RitchieはRossと同

様に、その出発の時点から、分離主義的であった。彼の視点からしてみる

と、オープンブラザレン派の定期刊行物は、その当初の目的から離れてお

り、人々が必要としているにもかかわらず満たされていない、と彼が考えた

ものを満たすことをこころみた。

いくつかの牧会関係に重点を置いた雑誌が廃刊になり、残ったものは、

The Witnessを含め、その雑誌の性質と編集上の立場を変えていった。

Ritchieが明言したわけではないし、彼の考え方は大きく影響したというも

のの、The WitnessはRitchieが想定した以上に非常に開放的なものであ

った。彼が希望したのは、より狭い立場に立つ1888年創刊のNeeded

Truthとその中間にあるようなのスコットランドの運動の中間層を狙ったよ

うなものであった。

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Ritchieという人物は、このように見るときに、ブラザレン運動が他の教会群

との比較の中で、ブラザレン運動の優れた点を強調するあまり、他の教会

群〜分離的になっていった傾向を生み出すことに、一定の影響を与えたも

のと思います。ブラザレン運動の護教的行動の結果とはいえ、残念な結果

と言わざるをえません。ただ、Witnessがある程度開放的な立場をとった、と

いうGrassの記述は、オープンブラザレンが、基本的には開放的な性質をも

っていたことを思い起こす上で、非常に重要だと思います。

雑誌が、その編集方針を変えていくのは、社会の要請に合わせていくこと、

さらに、読者の必要が時間の経過とともに変わっていくことからも、ある程度

当然とはいえ、廃刊が多いというのも、この時代の特徴かもしれません。

創刊してすぐ廃刊というのはなかったにせよ、このあたりが少数派であった

ブラザレン運動の実情を反映したものかもしれません。

ここで出てきたNeeded Truthというグループは、Tightening Tightという

ことばで知られる、非常に保守的な志向性を持つ運動につながっていき、

後に、Church of Godと名乗ったことが知られています。スコットランドの

保守的な地域特性が多少は反映されているのかもしれません。




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