ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

北米のブラザレン運動関連文書

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Facebook上で、非常に面白い文書を見つけ、日本語に翻訳 or 和訳 or 日本語変換したいと思い、試しに日本語で読めるようにしました。かなり雑な翻訳の続編です。前回から手紙の本文の続きです。内容としては、かなり厳しい表現となっていますが、ある面の事実を示していると思います。


なお、次の記事で、英文も載せておきます。なお、【・・・】の部分は、この文書の変換者の補注です。

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4. 律法主義とパリサイ主義

 

 どの世代であっても、若い人々は、その前の世代からは、ちょっと変な目で見られてきました。これは、人間世界では自然なことだとおもいます。私たちの子供が育ったとき、私自身は、同じような疑問を持つとはおもいます。若い人々は、理想主義的で、年長の人々についての欠点を見つけるのや、不具合や、誤りを見つけるのが早いのです。それとは逆に、年長の世代は、若い世代のことを、時に忘れることがあり、若い世代を過小評価しがちです。そして、若い人々が、霊的に浅く、反抗的であることを嫌がる傾向が強いのです。若い人たちが集会のことをどのように見ているかを直裁に表現してみたいと思います【以下はやや直截すぎるきらいがあるように思います】。ある点では、推測が混じっていると思いますが、集会の今日の主要な部分を占めている年長者のことをどう思っているのかを、直裁に表現してみます。次に言おうとしていることは、すべての集会に当てはまらないものの、多くの集会の実態に当てはまると思います。どのような法則にも、例外というものはあるのものだからです。以下のことは一般的な傾向として確認することができるのではないでしょうか。我々とは、パリサイ主義と律法主義が最もきわまったところではないでしょうか【うーん、よその教会の人から、以前このようなご意見をたまわった方がおられましたし、私も米国で福音自由教会にお邪魔した時に自分はブラザレンだ、といったときにある教会の方から、あぁ、あのパリサイ人のような教会ね、と言われたことがございます。それを自分の属するキリスト者集団に向けるとは、いやぁ、私にはできないことですねぇ。とはいえ、このメールを書いた方も、どこかでパリサイ派のようだ、と言われたのかもしれません】。われわれはほかの人々を肉において割礼を受けているもの【キリストを信じる信者である、と自称している、形式化した信仰生活である、というくらいの意味でしょうか。ここでの議論は、ローマ225節の表現を受けたものと思われます】の、霊や心において受けていないもの【ブラザレン派は、聖霊の働きを重視するので、自分たちには聖霊がおられる信者であるとみている、ということのこのメールを書いた方の見解の反映だと思います。】と見ています。

このことをもう少し説明しましょう。われわれは、だれが規則を順守しているかどうかで、人々を見ています。適切な服を着ているかどうか(日曜日にはスーツを着ているかどうか)、化粧をしていないか、イアリングをしているかどうか【日本でも、イヤリングはNGのようですね。ピアス?もちろん論外、の扱いだと思います】、すべての集会に出席しているかどうか、(あるいは、参加していないと後戻りをしていると思い、あなたはつらく感じることになるでしょう)これをしてはならない。これをしなさい、あなたの頭の中にあることから離れなさい、あるいはそれをしなさい、等々です。人々を神とともに歩んでいるかどうかや、神の言葉を慶びながら受け取っているかどうかや、恵みにおいての成長、あるいは日常生活での困難にあるかどうかについて、真剣に関心があるのでしょうか。【いやはや、強烈ですねぇ。】永遠の光に照らしてみたときに、最も重要なことは、ある女性がイヤリングをしているかいないか、なのでしょうか、それとも、その女性が神とともに歩むことを楽しんでいるかどうか、なのでしょうか。パリサイ派の人たちは、当時の人々が背負いきれないほど大きな荷物を負わせたことで知られたのではないでしょうか。私たち、若い人々は、同じことを集会の内部に見るのです。集会を離れた多くの人や、集会に来ることをやめた人たちは、集会を窮屈なところと表現するのです。【そりゃ、そうでしょう。現代には存在していない契約の箱のデザインがどうのとか、幕屋の素材がどうの、とかを提供だけして、なぜ、我々が神と生きることが大事なのか、神と生きることがどのように素晴らしいことか、を語らないとすれば、それは、いったい何?と言われても仕方がないかもしれませんねぇ。私は、旧約聖書を無視していいとは言いません。大事だと思います。しかし、できるならば、ロイドジョンズの講演録(旧約聖書から福音を語る)で示されているように、旧約聖書から福音も語ることができるはずですが、なぜかそれに取り組まれる方は少ないですねぇ。日曜学校ではあるのに。】われわれは聖霊にある自由について語りますが、なぜ、それで息が詰まりそうなのでしょうか。以下で、集会の人々がどのようにしてパリサイ人のようになるのか、の事例をお話ししたいと思います。外見がすべてであり、内部のことはすべては完膚なきまで低い評価され、あたかも関係ないもののように取り扱われるのかについての、その事例をお示ししたいと思います。


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 内面が、外形に出る、というのは、中学高校の時、風紀検査で風紀係の体育教官室の先生方が竹刀をもちながらのたまわっておられたことですが、しかし、集会でも、そういうところはあるでしょうねぇ。1970年代後半に高校生だった信者の方が、髪を長くのばしたら、「祈りましょう」と宣教師の方に言われたことがあったとお話ししてくださいましたが、結構、このような経験をされた方は少なくないかもしれません。

 最近は、ずいぶん少なくなりましたが、昔の姉妹は、非常に長い髪の毛を編んで、頭のまわりをぐるぐる巻いておられた方がおられましたが、髪の毛の長さも、昔は話題になったようです。日本でも、染めるのは、論外、という風潮もありましたし、茶髪もNGの集会も現在もあるとは思います。
 服装については、以前Mikatarouさまからコメントしていただいたように、相当時代遅れの服装であるために、探すのが困難でお困りになった姉妹がおられたようですが、当時、本当に困っておられた姉妹も本当におられたことは容易に想像できます。

 ほかの方々は、どうかはわかりませんが、私自身は、その方の外見はあまり重視しなくとも、と思います。ジーンズを着て集会にいらっしゃろうが、Tシャツ姿で集会にいらっしゃろうが、それはそれで構わないと思いますが、目のやり場に困るような服装だけは、困ってしまうので、避けてもらいたいなぁ、と思います。

 とはいえ、霊的な内実のことに関しては、簡単に分かりにくく、このことを十分理解するため、そして、そのケアのためには非常に長い時間がかかるので、日曜日だけの関係では、そのための時間がとりにくいというのが実態ではないか、と思います。さらに、霊的な内実の充実を図っていくためには、それなりの工夫と関与が必要なので、それはそれで、大変かと思います。そのために、信者間のかなり確実な信頼関係がまず存在していないといけませんし。あと、守秘義務の問題とその後の集会の中での人間関係での問題が残る場合もありますし。

 とはいえ、さまざまなチャンネルを通して信者のあり方を見ておくこと、そして、それを学びに反映させていくこと、ということは重要かもしれません。

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