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Tim GrassのGathering to His Nameの中p.184からブラザレン文化に関する部分、The Emergence of Settled Patterns of Assembly Life and Worship(集会生活と礼拝のパターンの成立)の中のThe Changing Role Played by Women(女性の役割の変化)についての記載を紹介しながら、考えてみたいと思います。
--------------------------------------------------- 海外伝道においては、自国内においてその才能を生かす機会を失っていた女性の才能が用いられる道が、ある程度ではあるが、開かれた。とりわけ、この傾向は伝道の初期によくみられ、集会が設立されるまでの状況で多数みられた。1874−1913年までの間に、筆者(変換者註:Tim Grass)のEchoes of Service誌で報告された記事に基づく調査によれば、1064姪の報告が載せられているが、そのうちの半数以上の558人が女性であった。そのうち、266人は、彼ら自身で活動に身を投じているし、292人は、宣教師の妻として、活動に身を投じていった。1874年から1883に37%であった女性の比率は、1894年から1903年には、57%で、1904から1913年には、やや下がって55%であった。この比率は、大英帝国における男女比率と同じようなものであった。オープンブラザレンの伝道活動は、バプティスト伝道協会のような教派による宣教活動と比べ、他の信仰のみによる宣教活動(Faith Mission:いちばん有名なのは、OMFとその出発点のハドソン・テーラー。 なお、彼は、ジョージ・ミューラーの影響を強く受けており、ブラザレンの範疇ではとらえられないが、関係の深い人物)と同じように、女性の役割は大きいものであった。とはいえ、女性の役割は、母国での状況と同じように、リーダーというよりはサポーター役のようなものであった。 --------------------------------------------------- 海外で女性が活躍したことに関しては、結構記録があり、このブラザレン研究の現在の第一人者ともいえるNeil DicksonのBrethren in Scotland 1838-2000: A Social Study of an Evangelical Movementにもそのような記述がございました。 日本におられた方では、リデルズさんとスピッチリさん(飯田橋だったかな、新宿近郊の駅前にあったちっちゃな伝道出版社の売店で店番をされたときにお会いしたことがある。もう30年近く前)や、カーテンさんとトロッタさん(京都でちらっとお顔を合わせたくらい。帰国される直前にお会いしたものと思われる。)なんかが、英国系の女性の方で、伝道に奉仕された方の私が知る方です。もちろん、伝道者の方の配偶者としてこられた方は多かったでしょうが、独身だった方は、この方くらいしか、記憶にございません。 その昔、沖見さんとケアンズさんが京都におられたころ、夏の暑いころに、沖見さんとケアンズさんが元気が出るようにとカーテンさんとトロッタさんが梅酒をお出ししたところ、水の量(割り方)を間違えて、沖見さんもケアンズさんも酔っぱらった状態に近い状態で、自転車を走らしておられたそうです。そんな昔話を、ケアンズさんが話されたことをもはや懐かしく思い出されることになりつつあります。 リデルズさんとスピッチリさんは、関東で伝道出版社のお仕事をされておられましたが、関西支店を大阪に立てる予定だったのですが、諸般の事情から、その関西支店の資金(イギリスの建設業者で、サーの称号を持つお金持ちの兄弟からの援助資金)が京都集会の設立資金に充当された(その結果、その権利関係の処理が結構大変だったと、ケアンズさんが言っておられました)、というのは、ふるい方だとご存じだと思いますが、今は昔になってしまいました。その京都集会も、建て替えられ、道路を挟んで西側に移転しましたしねぇ。 このあたりの機微情報を知る人で、御存命中の方は、もはやケアンズさんくらいでしょうか。 リデルズさんとスピッチリさん、カーテンさんとトロッタさんは、上の記述どおり、完全にサブに回られることに徹された女性信徒の方々だった、という印象があります。 そういえば、今はもう歌われなくなった(いや、現役で歌っているところがあるかもしれないですが…)、伝道出版社刊の(口語訳聖書版)聖句歌を作曲したのは、ムーランさんですが、ムーランさんは音符に書くことができなかったので、その採譜をしたのが、リデルズさんとスピッチリさんだったはずです。ムーランさんの歌は、ムーラン武士と呼ばれる非常に独特の音楽性にあふれるものであったため(普通の音感ではわからないし、音楽理論を超越したものだったそうですが)、リデルズさんとスピッチリさんは、オルガンでそれを再現しながら採譜されたそうですが、相当、ムーランさんからダメ出しを食らったようです。それでも、耐えて、採譜をされ、それが、せいっく歌集として、集会で用いられたようです。1970年ごろまでは、使っていた記憶があります。私も、いまだに歌える曲があります。 ♪はぁーじめに、はじめに、かみが、てんとち、てんとち、 はぁーじめに、はじめに、てんとちとを、 そうぞうされた、はじめに、かみが、 てんとちとを そうぞうされた。 昔から、集会におられる方の中には、この曲を歌える方がおられますので、いちど、古い信者さんに、ムーランさんの聖句歌集を歌ってください、とお願いしたら、歌ってもらえるかもしれません。 さて、次回は、最近読んだ本の中で、日本のブラザレン関係者の海外伝道に関して書かれてある書籍を見つけたので、ご紹介したいと思います。 |
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ムーランさんの自作賛美歌は、私も30年前にムーランさんに教えてもらいました。天地創造の歌、懐かしいです。
2013/10/12(土) 午前 9:29 [ noriさん ]