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明日は日曜日です。
聖餐式について少しまとめたいと思います。
聖餐式は、ブラザレンでは、毎週日曜日に聖餐式をします。カトリックでは毎日します。そこから分離した英国国教会(聖公会)では毎週日曜日にします。さらに、英国国教会から分離したブラザレンも、毎週日曜日に聖餐式をします。諸派では、月に1回のところから、年に数回のところまで、幅が多様です。
で、なぜ、ブラザレンでは、毎週日曜日に聖餐式をするのでしょうか。この疑問、誰も思っていないかもしれないし、そんなもんだと思ってしているかもしれませんが、ブラザレンの毎週日曜日の聖餐式の根拠って、多分に国教会からの伝統を引きずっているに過ぎないように思います。これには、もともとブラザレンの初期の段階で、ブラザレン運動を引っ張っていった指導者というか代表的な人物に国教会関係者及び国教会の司祭職がやたらといること(ダービーもそうですし、それ以外にもやたらといます)が大きく影響しているものと思われます。
聖餐式の起源は、もちろん、主の晩餐です。主の晩餐は、イエスが安息日(金曜日の夜から土曜の夜)になる前に十字架から下ろされたことから考えると、木曜日の夜以前に行われたと想定されます。
そもそも、ブラザレンがなぜ、毎週日曜日に限定してしまったかというと、
使徒の働き20章7節(新改訳聖書第2版による)
週の初めの日に、私たちはパンを裂くために集まった。
というところから来ています。
しかし、この部分は、毎週開いていたとも取れますし、そうでないとも取れます。ただし、英訳聖書で、この時代の人々が主に利用していた欽定訳(King James Version)では、
And upon the first day of the week, when the disciples came together to break bread,...
と露骨に日曜日の朝にわざわざ聖餐式のために集まるという印象を与えるような訳になっています。だから、国教会の人たちは、毎週集まるのが当然じゃん、と成りますし、これが聖書だ、と思って読み込んでいくブラザレンの人たち(ブラザレンが運動し始めたころには、この欽定訳聖書しかないので、それを読んでいたブラザレンに人たちは)日曜日に集まるのが、聖書に純粋に従うことになるわなぁ、ということに成ります。そりゃ、欽定訳は、毎週日曜日に聖餐式をするということを始めた国教会が訳したので、こうなっているように思います。
そうそう、ところで、英語の聖書で最も権威あるとされている(というよりかは、昔から使われているために一番たくさんの人が使っているだけ)欽定訳は、国教会の独自訳というよりは、個人的には、ティンダル訳のぱくりとしか思えないところもいっぱいあるので、ティンダル訳をもとに、修正した翻訳なのでしかたがないのだと思います。(ティンダルはかわいそうな人なので、ぜひ、この人の努力を埋もれさせてはいけないと思います。日本では知る人があまりいなくって、この人への評価が確立していないのが残念ですが。)
かっとんでいるのは、Today's English Version
On Saturday evening we gathered together for the fellowship meal.
土曜の夜に信者仲間が晩ご飯を食べるために集まった。この理解には、異論たらたらあるでしょうが、もともと聖餐式は、信者仲間のご飯会です。使徒の働き2章26節には、毎日食事をしていた。これが出発点です。お食事会なんですよ。だから、コリントで、聖餐式と称しながら酔っ払っている馬鹿がいる。食べ方を考えずに後から来た人には食べるパンが回っていかない、などとパウロ君に怒られる羽目になるんですね。コリントの人々は。
で、中道をいっているのが、New International Version(個人的にはこれが一番好き)
On the first day of the week we came together to break bread
ギリシア語の雰囲気に近いのも、これかな。どちらとも取れるようになっている。Luke君がもうちょっときちんと書いていてくれればとはおもいましたが。
はい、聖餐式は、昔は安息日明けの夜に行われていたようですね。基本的にユダヤ人社会の中の人々が多く含まれる集まりだったことを考えると、週の初めの日は、安息日あけの土曜日の夜、と考えるのが普通でしょう。週の初めの日は、安息日開けの土曜日の夜が正解でしょう。だからこそ、このあとパウロの話をうとうとしながら聞いていたユテコというおにいちゃんはおちてお亡くなりになりますし、パウロ君が発見し、生き返ることになります。いくらなんでも、ユテコが落ちたのは、日曜日の夜とは思えませんし。集会を朝から晩までやっていたら、誰だってユテコ君状態になるような気はしますが。
で、日曜日に週の初めの日が移行してしまったのは、どちらかというとローマ時代に入ってからのようで、この辺でも、すり替えがあるのですね。日曜日がローマ帝国における公式の休日だったようですから。
で、何が言いたいかって?
そう、聖餐式をいつ開くか、という重要な判断だって、文化とか歴史的経緯とは無縁ではないって言うこと。すなわち、ブラザレンの一部の方は、この辺りのことを知らずに聖書的聖書的って、われわれこそ、新約時代に行われたと同じように(聖書のとおり)、実現しているキリスト者集団だ、と言うけれども、何が本当に聖書的なのか、何を守らなきゃいけないのか、ということは、結構思い込みや、先輩信者からの刷り込みや、その時々の判断に左右される可能性がある、ということを忘れてはいけないということでした。
新約時代の正当な聖餐式を実現している、というのであれば、そりゃ、使徒の働き2章にある毎日聖餐式スタイルが、一番正当なんでないの。だとしたら、日曜日にこだわる必要はないし、ブラザレン運動の成立期に深く関与しているCroninたちは、月曜日にやっていたようだし。
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