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ブラザレン運動における聖霊論(8) この項終わり
ブラザレン
[ kaw*muk*ih ]
2010/5/6(木) 午後 6:18
mikatarou様 コメントありがとうございました。
自分の思いや欲望を聖書で正当化するのは、反証可能性があるので、まだ、罪が軽いですが聖霊の示しを担ぎ出すのは、本当にいかがなものか、と存じております。
特に、責任者が「みこころ」の発言をするときには、その重みは非常に重たいと思います。
今でも、時々、「みこころ」をおっしゃる方がおり、議論の収拾に為に使われているのではないかなぁ、と思うことがあります。10年ほど前ですが、私は現在の所属集会の執事の方から、実際面で、執事の方と違う考えをお話し申し上げた時に「みこころ」説で説得されかけたことがあります。最後まで違うのではないか、と抵抗はいたしましたが。
そのことがあったためか、その執事の方のほうが来られなくなったので、「あれ?」とは思った事がございますが。
「みこころ」の使われ方は、その人が通ってきた集会経験と聖書に基づく思索経験、読んできたものによる属人的要素が強いようです。
ブラザレン運動における聖霊論(8) この項終わり
ブラザレン
2010/5/6(木) 午後 3:48
ブラザレン運動における聖霊論(7)
ブラザレン
[ kaw*muk*ih ]
2010/4/30(金) 午前 6:38
武州の鳩様
コメントありがとうございます。人間は神と違うので、本当の例の働きかどうかをなかなか見わけにくこともあり、(肉的な)外見的な熱心さが、霊の(働きの)豊かさと混同されやすいというのはどうしてもあると思います。肉的な熱心さを追求しているうちに霊的な成長につながる場合もないわけではないのですが、肉的な熱心さを持っておられる方は、ほかの信者さんにもそうであることを求めたり、そうでなければ霊的な状態がおかしいと思っておられるかのようなご発言が見られることもあります。そうではないと思うのですが。
このあたりの話を聞くたびに、そういう発言をなさる方には、ロイド・ジョンズの「霊的スランプ」という本を読んでほしいなぁ、と思います。
ブラザレン運動における聖霊論(7)
ブラザレン
[ g_topspeed ]
2010/4/30(金) 午前 5:33
ブラザレン運動における聖霊論(6)
ブラザレン
[ kaw*muk*ih ]
2010/4/28(水) 午後 6:45
ブラザレン運動における聖霊論(6)
ブラザレン
[ g_topspeed ]
2010/4/28(水) 午前 5:44
ブラザレン運動における聖霊論(5)
ブラザレン
[ kaw*muk*ih ]
2010/4/25(日) 午前 7:10
そうですね。ブラザレンでは、アンチに近いです。
もともと、ブラザレン運動の多くの方はイギリス国教会(日本では聖公会)のアイルランド教会(Church of Ireland)からの分離派が主体、その一部にクェーカー(友会)、バプテスト派などからの流入で出来上がっているので、聖霊の導きは重視しますが、聖霊の表れは基本的に重視されていないようです。
ただ、個人的な癒しの事例が現在も確認されていますし、そのことを求めて祈りますので、完全否定ではないです。ただ、見世物的になりがちな癒しの側面や伝道の手段としての癒し、奇跡、異言には、非常に冷淡です。
癒しや異言は否定しないものの、主の臨在と関与の結果としてのものであって、個人の信仰深さや個人的な栄光の追求、伝道のため、というのは、結果の目的化となっているようで、いかがかなぁ、と個人的には考えています。
栄光は神のみに帰せられるべきものかと。
ブラザレン運動における聖霊論(5)
ブラザレン
[ g_topspeed ]
2010/4/23(金) 午後 10:25
ブラザレン運動における聖霊論(5)
ブラザレン
[ kaw*muk*ih ]
2010/4/23(金) 午後 10:18



