ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

全返信表示

返信: 802件

[このコメントが投稿された記事は削除されました]

このコメントは閲覧できません

[ kaw*muk*ih ]

2010/5/6(木) 午後 6:18

顔アイコン

mikatarou様 コメントありがとうございました。

自分の思いや欲望を聖書で正当化するのは、反証可能性があるので、まだ、罪が軽いですが聖霊の示しを担ぎ出すのは、本当にいかがなものか、と存じております。

特に、責任者が「みこころ」の発言をするときには、その重みは非常に重たいと思います。
今でも、時々、「みこころ」をおっしゃる方がおり、議論の収拾に為に使われているのではないかなぁ、と思うことがあります。10年ほど前ですが、私は現在の所属集会の執事の方から、実際面で、執事の方と違う考えをお話し申し上げた時に「みこころ」説で説得されかけたことがあります。最後まで違うのではないか、と抵抗はいたしましたが。

そのことがあったためか、その執事の方のほうが来られなくなったので、「あれ?」とは思った事がございますが。

「みこころ」の使われ方は、その人が通ってきた集会経験と聖書に基づく思索経験、読んできたものによる属人的要素が強いようです。

[ msq*x4*1 mikatarou ]

2010/5/6(木) 午後 3:48

顔アイコン

自分の思いや欲望を聖霊や聖書の言葉で正当化しようとすることは、
この世の中の集会とか教会とか呼ばれている社会で多々起きていることがらですね。
『みこころ信仰』と言って日本の諸集会の一部では多々見られる社会
現象であったと思います。私の同期およびその前後には諸集会で長老になっている方が多いのですが、今は如何なのですかね???

[ kaw*muk*ih ]

2010/4/30(金) 午前 6:38

顔アイコン

武州の鳩様

コメントありがとうございます。人間は神と違うので、本当の例の働きかどうかをなかなか見わけにくこともあり、(肉的な)外見的な熱心さが、霊の(働きの)豊かさと混同されやすいというのはどうしてもあると思います。肉的な熱心さを追求しているうちに霊的な成長につながる場合もないわけではないのですが、肉的な熱心さを持っておられる方は、ほかの信者さんにもそうであることを求めたり、そうでなければ霊的な状態がおかしいと思っておられるかのようなご発言が見られることもあります。そうではないと思うのですが。
このあたりの話を聞くたびに、そういう発言をなさる方には、ロイド・ジョンズの「霊的スランプ」という本を読んでほしいなぁ、と思います。

[ g_topspeed ]

2010/4/30(金) 午前 5:33

顔アイコン

「外見的熱心さ」が評価されるのは、いずこも同じですね。そのほとんどは「肉」の情熱と思います。それも成長過程のひとつなのでしょうが...。

[ kaw*muk*ih ]

2010/4/28(水) 午後 6:45

顔アイコン

鳩様

コメントありがとうございました。

当初は、聖霊の働きであった可能性は否定できないと思います。ただし、人間の罪の弱さゆえの人間的な弱さの結果として、次第に人間的な要素が入るのは、避けがたいと思います。

私どもとて、ダービーとニュートンの間の論争、それ以降のダービー派と非ダービー派の関係断絶事件など、お恥ずかしい歴史を持っていますので、他所さまのことをとやかく申し上げることには、抵抗がございます。

自分の立場を冷静に見つめていく、A.マクグラスやF.F.ブルース、D.M.ロイドジョンズ、J.I.パッカーに代表されるイギリスの福音派の冷静さが大切なのだろう、と感じます。

[ g_topspeed ]

2010/4/28(水) 午前 5:44

顔アイコン

>トロント・ブレッシングみたいなことは、ほとんどない、あるいは非常に懐疑的、というのが、ブラザレンの関係者の基本的態度です。

トロントなど一連の騒ぎは、今となってはお恥ずかしいかぎりです...。

[ kaw*muk*ih ]

2010/4/25(日) 午前 7:10

顔アイコン

そうですね。ブラザレンでは、アンチに近いです。

もともと、ブラザレン運動の多くの方はイギリス国教会(日本では聖公会)のアイルランド教会(Church of Ireland)からの分離派が主体、その一部にクェーカー(友会)、バプテスト派などからの流入で出来上がっているので、聖霊の導きは重視しますが、聖霊の表れは基本的に重視されていないようです。

ただ、個人的な癒しの事例が現在も確認されていますし、そのことを求めて祈りますので、完全否定ではないです。ただ、見世物的になりがちな癒しの側面や伝道の手段としての癒し、奇跡、異言には、非常に冷淡です。

癒しや異言は否定しないものの、主の臨在と関与の結果としてのものであって、個人の信仰深さや個人的な栄光の追求、伝道のため、というのは、結果の目的化となっているようで、いかがかなぁ、と個人的には考えています。

栄光は神のみに帰せられるべきものかと。

[ g_topspeed ]

2010/4/23(金) 午後 10:25

顔アイコン

やはりアンチに近いのですね。
予想通りですが、残念です。

確かに、聖書的ではない現れ、扱い方が氾濫し、まったく証になっていない部分がありますので、当然といえます。この部分、大いに反省し、考慮するところです。

回答ありがとうございました。

[ kaw*muk*ih ]

2010/4/23(金) 午後 10:18

顔アイコン

鳩様

主流派は、ノン・カリスマだと思います。特別な環境でのカリスマの出現は否定はしていませんが、現代の通常社会でのカリスマの出現については、かなり否定的で、アンチ・カリスマに近いと思います。

カリスマの意味が、異言とか癒しとか、人間の世界で通常観測されない特別な出来事としての聖霊の働きに関してですが。

ただ、完全にカリスマを言い出す人がいないか、というと、いないわけではなくて、過去に、このカリスマをめぐって、不幸な分裂を経験したキリスト集会(教会)が少なくとも10以上あると認識しています。たいてい、カリスマを主張する信者群のほうが、分離して独立していくということが多いようです。


.
kaw*muk*ih
kaw*muk*ih
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

過去の記事一覧

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事