ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

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返信: 802件

sayaka

2010/1/4(月) 午前 9:41

川向さんあけましておめでとうございます。今年も主にあってよろしくお願いします。

[ kaw*muk*ih ]

2010/1/3(日) 午前 7:19

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Luce様

コメントありがとうございます。ただ、この考え方は行きすぎると、ギリシア語原典(失われたものですが)の正統性に対する疑念に行かざるを得ず、そこを揺るがさないようにしないといけない、ということを繰り返しご説明していかないといけないと思っております。
時々、特定の日本語聖書に忠実な方や、特定の英語聖書(特に欽定訳)に忠実な方もおられますので。

[ Luce ]

2010/1/2(土) 午後 10:20

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Luceです。

>へブル語またはアラム語からギリシア語への移行過程で精霊の導きがあったとはいえ、一つの語が、一つの意味しか持たないという解釈ではなく、

この点、同感です。
非常に取扱いに注意をはらわなければならない点ですが、「イエスのことば」に忠実であろうとするならばネイティブランゲージではどうだったのかということに思いをはせるのは自然な発想だと思います。

ディスペンセーション仮説再び(9)

ブラザレンと預言理解

[ kaw*muk*ih ]

2009/12/24(木) 午後 11:18

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続きです。

もちろん、預言も福音の入口になることは否定できませんが、預言が福音の入口になってしまうと、預言だけに傾倒される方もおられるので。

霊的なイスラエルなのか、本当のイスラエルなのかは、実はかなり多様な解釈があり得そうだ、と理解しており、一概に決めにくなぁ、というのが実感でございます。最近読んでいる、クリスチャンシオニズム運動の本を読んでいる中で、ダービーのこのディスペンセーションの考え方がクリスチャンシオニズムに強く影響していることを知るにつけ、非常に複雑な気持ちになっております。

ディスペンセーション仮説再び(9)

ブラザレンと預言理解

[ kaw*muk*ih ]

2009/12/24(木) 午後 11:12

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ミカタロウ様 コメントありがとうございました。

今日は一日出張で出ていたもので、お返事が遅くなり申し訳なく思っております。

> 神学を学ぶ者とは交わりを絶つと言う警告もありました。

そういうことがありましたねぇ。懐かしく思い出します。そんな大声で言わなくても、とは今でも思いますが。

> 最近判って来た事として諸集会にも聖書本文や写本に言及
> し、聖書解釈、聖書教理、組織神学という土台の上に信仰
> 生活を築きあげている方々がいる

そうですね。ただ、こういう人は隠れておられることが
多くって。でも、こういう地の塩のような方は概して
目立たないのが。少し残念です。

> 福音は過去、現在、未来をバランス良く語る必要がある

このバランス良く語る、というのが意外と難しいと思います。
ある思い込みで聖書を読みだすと、それ以外の方法でみること
は難しくなりますから。

続きます。

ディスペンセーション仮説再び(9)

ブラザレンと預言理解

[ msq*x4*1 mikatarou ]

2009/12/24(木) 午後 7:33

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もちろん、これから救われる方々もいます。
その反面、たとえ、イスラエル民族(クリスチャンホームでも同様)に生まれようと福音から外れた者には救いは無いと思います。そうでないと福音が福音でなくなると思います。

ディスペンセーション仮説再び(9)

ブラザレンと預言理解

[ msq*x4*1 mikatarou ]

2009/12/24(木) 午後 7:29

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上記の霊的イスラエル民族にはアブラハム、モ−セ、エリヤ、エレミヤ、そして幼子イエスを腕に抱き、神をほめたたえたシメオンやその場に居た女預言者アンナも含まれます。もちろん、その後イエス様を信じた私たちに至るまでの人々が含まれると私は考えています。

ディスペンセーション仮説再び(9)

ブラザレンと預言理解

[ msq*x4*1 mikatarou ]

2009/12/24(木) 午後 7:13

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私もディスペンセーション仮説には詳しくなく名称だけが脳裏に浮いているだけです。ただ、1970年代初頭に集会所の壁に過去・現在・未来を7区分する年表が貼られてあるのを見た記憶があります。
区分することは問題ないと思いますが、そこに成約期的深読みをするのは行き過ぎかなと思います。
旧約も新約も神の恵みに満ちています。ただ、旧約聖書はイエス・キリストの十字架を理解する上で欠かせないものだと思います。また、そのためにイスラエル民族は選ばれたのであり、彼らに誇る権利などは無いと思います。霊的なイスラエル民族とはイエス・キリストの十字架を誇るパウロの様な人々だと思います。

ディスペンセーション仮説再び(9)

ブラザレンと預言理解

[ msq*x4*1 mikatarou ]

2009/12/24(木) 午前 8:13

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1980年代の再臨ブームは多くの若者(結婚適齢期の)を諸集会から離れさせる結果となりました。1986年にキリストが再臨すると
公けの説教で語った方もあり、講演の主催者側の長老たちもヤバイと感じた方も居たようですが手遅れでした。

福音は過去、現在、未来をカバーするものです。聖書が明確に語っていない未来を明確に語ることは危険です。ただ、その事件を通じて神学(聖書を学ぶこと)の大切さに目覚めた人々もいたと思います。私も禁じられていた教会史や組織神学を読むようになりました。神学を学ぶ者とは交わりを絶つと言う警告もありました。
もちろん、最近判って来た事として諸集会にも聖書本文や写本に言及し、聖書解釈、聖書教理、組織神学という土台の上に信仰生活を築きあげている方々がいるということです。
過去を振り返るなら諸集会にもF・F・ブルースの様な学者が居た訳です。(日本の諸集会では彼の学びに批判的な方もいますし、それが分裂の根になっているなと思う例もありました。表向きには発表されませんがね。)

福音は過去、現在、未来をバランス良く語る必要があると思います。

[ kaw*muk*ih ]

2009/12/19(土) 午後 0:03

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Luce様 続きです。


> 今日的には、時代区分説の再検討の時期なのかもしれませんね?
> それは必ずしも全否定ではないかもしれません。

個人的に、説は説ですから、それは尊重したいと思います。ただ、それを鵜呑みにすることは避けたいと思います。いかなる説であろうとも。それを聖書の主張だとして話すことも、避けたいと思います。私の考えだと強調しても、私の考えを聖書の主張だ、と思いこまれる方が時に居られるので、困ってしまいます。個人的には、歴史を連続体としてとらえていく考え方をしていることもあり、思い込みに制約されずに聖書を読んでいく努力をしてみたいと思います。

否定的というよりは、批判的というのか客観的というほうがディスペンセーション説について、私の考えの表現に近いかもしれません。

大変貴重なコメント、ありがとうございました。


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