ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

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返信: 802件

ディスペンセーション仮説再び(2)

ブラザレンと預言理解

[ msq*x4*1 mikatarou ]

2009/12/8(火) 午後 8:50

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ビリーグラハムの福音は日本の戦中派には恐怖の神と映ったかも知れませんね。聞き手(聖書の知識や信仰が無くても)が神の愛と義を如何なるバランスで受け止めて来たかを考慮して語ることも知恵なのかも知れませんね。1970年代であったと思いますがビリーグラハムの福音は印刷物となり様々の教派や諸集会の人々に読まれました。
そして、消えて行きました。

その様な中で諸集会の一部の若者の中で先輩達に内緒で密かに(?)読まれていたのがロイドジョンズの著作であつたと記憶しています。
(私は読んでいませんが、、、、。)
私が今関心を持つのはロイドジョンズやジョンストットなのですが
今更時間がありません。

ロイドジョンズが集会に一つの可能性を見出そうとしていたこととは如何なることなのでしょうか?

ディスペンセーション仮説再び(2)

ブラザレンと預言理解

[ kaw*muk*ih ]

2009/12/8(火) 午前 6:49

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神の愛、神の義、神の誠実、神の臨在、これらは普遍的な神のご性質でありますので、バランスを取りながら、語っていく必要があるというのが、基本的な回避のための方法かなぁ、と思います。神の義と裁きが90%を占め、神の愛が10%だとしたら、それは、ほとんど脅迫となりかねないと思います。ビリー・グラハムの初期の伝道は、そんな感じだったようですが。ロイドジョンズがグラハムを嫌っていた理由が推測されます。ところで、ロイドジョンズは、集会に一つの可能性を見出そうとしていたようです。

ディスペンセーション仮説再び(2)

ブラザレンと預言理解

[ kaw*muk*ih ]

2009/12/8(火) 午前 6:45

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mikatarou様 コメントありがとうございました。

>私はどちらかと言いますとその様な熱気の中に溶け込むことが
>苦手でした。

集会ごとに違うのですが、2時間の礼拝は、いかんせん長い
とおもいます。個人的には、30分から40分が限界かなぁ、
とおもいます。

>何か自己満足の世界のようにも思えました。(ごめんなさい)
それは、素直なご意見の表明だと思います。祈りの中で
福音を語ったり、学びを語る方もおありのようで。
それはそれで別の時間があると思うのですが。

>祈る前に集会(会衆)として聖書のことばの前にひざまずく方向性が欠けていた

これは、集会独自ではなくて、教会でもみられることかもしれません。精子の時をもつとか持たないとかでなく、これは日常的な生活における聖書の位置づけかなぁ、と思います。ただ、集会は普通の信徒さんがかなり聖書をよく読んでいるのですが、思い込みによる読み込みの偏りが全くないというわけにはいかないかもしれません。

ディスペンセーション仮説再び(2)

ブラザレンと預言理解

[ msq*x4*1 mikatarou ]

2009/12/7(月) 午後 8:50

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『このあたりの経緯を、この項では次第に明らかにし、その課題とその課題の克服を具体的に考えて生きたいとおもっています。』という最後の3行に関心があります。

神の義については疎外してはならないという思いがあります。神の愛と義をどのように理解すれば良いか私の課題でもあります。

ディスペンセーション仮説再び(2)

ブラザレンと預言理解

[ msq*x4*1 mikatarou ]

2009/12/7(月) 午後 8:33

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毎週日曜日にパン裂き集会を行なう。姉妹の被り物。確かにこの二つのことは日本の諸集会に共通していたと思います。

パン裂き集会では多くの兄弟が熱心に感謝・賛美の祈りを捧げていたのが特徴であったと思います。私はどちらかと言いますとその様な熱気の中に溶け込むことが苦手でした。
何か自己満足の世界のようにも思えました。(ごめんなさい)
しかし、祈る前に集会(会衆)として聖書のことばの前にひざまずく方向性が欠けていたように思えます。

ディスペンセーション仮説再び(1)

ブラザレンと預言理解

[ kaw*muk*ih ]

2009/11/28(土) 午後 6:18

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あと、もうひとつだけ、ここでだけ書いておきたいことですが、このディスペンセーション仮説が、聖書に純粋に従っていこうとする私たちの姿勢の中に埋め込まれているために、知らず知らずの間に、このディスペンセーション説の考え方が正当で使徒の昔からこの考え方があったのだ、という仮説がこのディスペンセーション説とともに広がってしまっていったように思います。教父時代の文章に出てこないことも、これは当時から当たり前であったので書かれてないとかいいそうですしねぇ。
大事なことであれば、書いていたとは思うのですが。ここを忌避することも問題ですが、ここばかりに着目するのもどうかと思います。

思い出したので、書いておきますね。Bassは最初の2章と最終章だけが、私には有効でしたが。ディスペンセーション説を理解するためには、ブラザレン運動の分裂史と結びついているという指摘は面白かったですけれども。これについては、もう少し検証が必要かと思います。

ディスペンセーション仮説再び(1)

ブラザレンと預言理解

[ kaw*muk*ih ]

2009/11/28(土) 午後 5:19

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続きです。

この呪縛から逃れることが大切ですが、これまでの多くの人々がこの考えから影響を受け、それを伝道のガソリンにしてきたことを考えると、恐ろしくもあります。京都での沖見氏のメッセージを聞きましたが、後半の20分あたりは、彼の考えにこのJDN説とそれをガソリンにしているという伝道思想がかなり深く浸透していることが分かりました。

1840-60年代に確立されたJNDarbyの考えが1900年ごろOxford Univ.Pressから出版されたScofield版KJVに乗ったための悲劇だとしか思えません。
Bassの主張は、カルバンやルターの著作に、この千年王国思想があるかどうかを確認してみろ、というのが主な主張だと思います。明らかにないと思いますので、そのことを虚心坦懐に検証してみる必要があるようですね。

コメントありがとうございました。

ディスペンセーション仮説再び(1)

ブラザレンと預言理解

[ kaw*muk*ih ]

2009/11/28(土) 午後 1:38

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のっぞん様

川向でございます。
福音派のみならず、この種の考え方がかなり広範に広がっているので、危機感を覚えます。日本でも、かなり多くの聖書学校の関係者の間にこの考えが広まっており、これが標準として語られることの恐怖を感じます。続きます。

ディスペンセーション仮説再び(1)

ブラザレンと預言理解

[ ぷにょす ]

2009/11/28(土) 午前 1:04

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安黒氏もバスの著作について、言及していたので、おそらくBackgrounds to Dispensationalism, Wipf and Stockのことでしょうね・・・

ディスペンセーション仮説再び(1)

ブラザレンと預言理解

[ ぷにょす ]

2009/11/28(土) 午前 1:00

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先週、福音主義神学会の西部部会に出席したのですが、講演者がミラード・J・エリクソンの翻訳者の安黒氏でディスペンについてかなり批判的でした。かれ自身は聖霊派と福音派の間なのに・・・日本の福音派は今、この説の呪縛から逃れようと必死にもがいている様子でした。


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