ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

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Tim GrassのGathering to His Nameの中p.177からブラザレン文化に関する部分、The Emergence of Settled Patterns of Assembly Life and Worship(集会生活と礼拝のパターンの成立)の中のOther Music(音楽)についての記載を紹介しながら、考えてみたいと思います。

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音楽についての取り扱い、とりわけ、楽器の伴奏をどう考えるのか、ということについては非常に強硬で、多様な意見が見られる。ある集会では、割と早い時期から、礼拝でオルガンを使い始めた。Cartisle集会は、1876年にオルガンを購入している。GreenwichのKing George集会では、1878年にオルガンを購入し、1891年には、コーラスグループが置かれている。礼拝での楽器使用に否定的な、長老派教会の影響が大きい地域では、無楽器による賛美が行われた。

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私の長老派の友人に聞いてみたところ、やはりこの楽器がある無しというのは、かなり大きな立場の違いになっておられるようです。Church of Christ(キリストの教会)でも、同様のようです。この辺りは、野村基之先生がかなりいろいろ書いておられます。

 キリスト集会を自称するところでは、基本的には賛美における無楽器派が主流で、伴奏つき賛美をするところのほうが少数派ではないでしょうか。最近でこそ、幼少期からの音楽教育が普通のこととなり、楽器が演奏できる姉妹が増えてきていることから、楽器演奏が不通になりつつあるようですけれども。

Tim GrassのGathering to His Nameの中p.177からブラザレン文化に関する部分、The Emergence of Settled Patterns of Assembly Life and Worship(集会生活と礼拝のパターンの成立)の中のOther Assenbly Activities(そのほかの活動)についての記載を紹介しながら、考えてみたいと思います。

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現代の非国教会系の教会では民主主義的な運営方法に関して、非常に明確に求められていたが、このことはブラザレンには当てはまらない。実際、霊的なことに関する投票で決めることは世の中の非常に霊的でない方法の物まねにすぎないと徹底的に否定された。

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この傾向は、現代でも続いていて、投票するとかいうような方法論は、なかなか取られません。特に、建物を取得するとかしないとか、施設を移転するとかしないとかについても、投票というような方法はほとんど取られず、決まった結果を突然信者は知らせられる、ということが多く、それがまた、キリスト集会内での混乱の原因につがなる、ということが少なからず散見されるように思います。

キリスト集会もご多分にもれず、女性信徒の方が多いところが多いのですが、女性信徒の方は、献金をしているわけですが、その割に、いまだに重要な意思決定に対して、発言権がない状態というのが、長く続いているように思います。

現代の民主的社会において活躍する女性が増えてきた今、聖書理解の問題というよりも、実際的問題、いわゆる教会内における社会正義をどう実現するかの問題として、権利と貢献のバランスをどう考えるのか、ということが、問い直したほうがいい時期が近いように思います。
Tim GrassのGathering to His Nameの中p.177からブラザレン文化に関する部分、The Emergence of Settled Patterns of Assembly Life and Worship(集会生活と礼拝のパターンの成立)の中のOther Assenbly Activities(そのほかの活動)についての記載を紹介しながら、考えてみたいと思います。

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教会の現実的なことに関する会議は、あまり頻繁に開かれていなかった。(とはいっても、全体の責任を負う兄弟たちは、月に一度程度あって、現実的な対応や牧会上の問題を取り扱っていいただろうと考えられる。[変換者註 丸カッコは、Grassによる])この時期、我々が持っているような記録によれば、このような会議は、年に2回から4回持たれ、交わりのお茶会と一緒に行われたようである。

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日本では、月一度の兄弟会のような形で、この種の現実的なことへの対応をしている集会は多いと思いますが、信者全体が集まって、このようなことへの意見を自由に述べられる機会を持っているところは少ないと思います。ただ、兄弟会が成立する前提としては、独身の姉妹などとの、教会運営に関する意見聴取と決定事項についての非公式チャンネルが十分に機能していることが、重要だと思います。

 小さい教会(集会)では、日日の会話の中で、さまざまなことがきめられていくこともあり、このような公式の機会がない運営をしておられる場合も少なからずあるようです。個人的には、こういう公式の組織や機会がないのが問題だ、とは思いません。というのは、要するに集会はゲリラ的な活動なので、要するにそれぞれの集会が問題なく運営されることが問題であり、そのメンバーが不幸にならないことが重要だと思うからです。ゲリラ組織の特徴は、正規軍のように、行動のための綿密な連絡が必要なく、基本的なミッションだけ、与えておけば、あとはかなり自由に行動ができることが重要で、さらに、それをその場でアドリブで効果的な行動ができればいいわけで、公式組織のように会議、会議、そして会議のための会議は、集会のようなゲリラ的組織というか、一時的に突いたり離れたりする組織には、不要だと思うのですね。それこそが、実はキリスト集会の最大の特徴ではないか、と組織論的には思ってしまいます。まぁ、キリスト者集団のなかのオルフェウス室内楽団だと思えば、よろしいのではないかと思います。ただ、そのためには、ある程度役割を担う個々人にスキルが必要であり、求められます。また、相手の行動を読み込み、自分の動きを調整するスキルが必要でもあります。一種神経戦的な状況に対応、適応するためのスキルが要求されるわけです。これに耐えられない人は、面倒になって、キリスト集会に居づらくなるという、効果も持ってしまうのかもしれません。お任せをしたい人々は、それは、牧師のような役割が面倒なことを丸抱えにしてくれ、そこに参加するだけで満足な人もいるともいますので、それはそれで、全部のキリスト者が集会のようなスタイルでの参加をしなければならない、ということにはならない、と私は思うのですね。全部のキリスト者が集会にあつまらなければならない、に近いことを思ったのが、じつは、J.N.ダービーという方だと思います。その思想が、今もキリスト集会の中で、響いているように思います。

 また、通常発言権を持たない独身の姉妹や中学生で信者であるような人々も、集会のメンバーである以上、無視されてはならないとは思いますが、それが公式であるかどうかより、意見を伝えるチャンネルが公式であれ、非公式であれ、存在し、総合的な判断の中で、その意見が反映されることが重要だと、私は思います。

Tim GrassのGathering to His Nameの中p.177からブラザレン文化に関する部分、The Emergence of Settled Patterns of Assembly Life and Worship(集会生活と礼拝のパターンの成立)の中のOther Assembly Activities(そのほかの活動)についての記載を紹介しながら、考えてみたいと思います。

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ある面、当たり前のことであるが、1890年代には、これらの週の半ばの集会は聖書の学び会よりも多くの参加者を集めていることに対する苦情が出ている。このことの一部の原因として、ある面事実である半面、あまり適切ではない指摘でもあるのだろうが、自分たちで仕事をしないで、集会で出る食事にありつくために来ている参加者が多いということもあったようである。
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こうなった構造として、初期のキリスト集会は、いわゆる貴族階級に属した長老や執事の人たちであったこと、さらに、それらの責任者の人々が、産業革命の中、劣悪な環境に置かれていた貧しい工場や炭鉱労働者に対する思いから、これらの困窮している人々に対して、集会を通して手を差し伸べようとしたという側面があったためと思います。しかし、生活実態的には、それとあまり変わらない中間層に属する人々が、なぜ、我々の乏しい中から差し出した献金が、まともに働こうとしない人々や当時問題化していたアルコール中毒者の食事のための出費に回されねばならないのか、そのような出費をすることが、本当の教会の望ましい出費と奉仕なのか、という疑問が出たのではないか、と思います。
Tim GrassのGathering to His Nameの中p.177からブラザレン文化に関する部分、The Emergence of Settled Patterns of Assembly Life and Worship(集会生活と礼拝のパターンの成立)の中のOther Assenbly Activities(他の集会活動)についての記載を紹介しながら、考えてみたいと思います。

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一週間の中で、祈り会が持たれ、また、聖書を読む会が開かれていた。この学び会は、ブラザレンが最も得意とするものであった。会話形式をとりながら、聖書のある場所について、細かく学びがなされ、参加している男性(変換者註 おそらく信者でなくても)は、自由に参加することができた。学び会(Ministry Meeting)もまた多くの集会で開催され、ある兄弟が、一定の長さの聖書の個所から、講解するもので、オープンな参加による自由な討論がなされたわけではなかった。

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個人的には、ここで説明されている聖書を読む会、見たいなものがもっと増えるといいなぁ、と思っています。なぜかというと、一方的に学びを聴く会ではなくて、聴き手からのリパーカッションがあり、相互的に進められていくことで、まず、参加意識が参加者に高まること、また、会話形式というのか、対話形式で進められることで、疑問点があれば、それをさしはさめる(質問者と回答者間で、会話がかみ合わないことも時々は起こるようですが)という利点があります。

そういえばシアトル近郊のキリスト集会に行っていたときには、礼拝終了後には、申命記を読む会のようなことをしておられましたが、基本、CHM(マッキントシ)のモーセ5書シリーズにのっとった話が多かったように思います。ここでも、話というのか、質問と回答がかみ合っていなかったことも時にあったような気がします。

学び会というのも、時には1週間連続であることもあるようです。日本ではさすがにもうやっていないようですが。たとえば、ダニエル書とか、ヨシュア記などを学ぶ、とかいうような、注解書をライブでやるような感覚の学び会もあります。シアトル近郊のキリスト集会では、1週間ぶち抜きの学び会がありましたが、参加者は少なかったですねぇ。

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