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先週末は、出張していたので、体力的に限界だったので、お休みしました。更新が遅れました。それでは、今回も、Tim GrassのGathering to His Nameの中p.183からブラザレン文化に関する部分、The Emergence of Settled Patterns of Assembly Life and Worship(集会生活と礼拝のパターンの成立)の中のThe Changing Role Played by Women(女性の役割の変化)についての記載を紹介しながら、考えてみたいと思います。
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女性のための牧会上の配慮の問題は、定期刊行物でかなり頻繁に取り上げられた。もっと公的な役割を求めることは、女性の権利と呼ばれたのであるが、時代の息吹を示すものとして考えられていた。女性の牧会が祝福されたことは、そのような牧会上の働きを神が承認したことを意味するものではなかった。むしろ、人格や健康の健全性、良好な家族関係を損なっていることがあるということを示すものでると考えられた。
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なんか、こういうの見ていると、時代だなぁ、と思います。この時期は、ちょうどMary Poppins のMrs.Banksが女性参政権を求めて、マーチしながら歌っていた頃ですから、ちょうど婦人参政権が話題になっていた頃です。ちなみに、Mary PoppinsのMrs.Banksが婦人参政権を求めて歌うシーンは以下で見られます。
女性が参政権を求めたり、権利を主張するのは、異様なことと認識されていたがゆえに、女性が語ることへの抵抗感(男性を教えることへの違和感)があったのではないか、と思います。それを、病気だとか、良好な家族関係が損なわれてるとか、今から考えると、変な話でありますが、当時はかなり真剣に議論されたようです。他人と違う行動をする人に、病気だとか、精神的におかしいとかラベルを張る人々がおられることは昔も今も変わりませんが、こういう態度というのは、個人的にはどうかなぁ、と思います。
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Tim GrassのGathering to His Nameの中p.182からブラザレン文化に関する部分、The Emergence of Settled Patterns of Assembly Life and Worship(集会生活と礼拝のパターンの成立)の中のThe Changing Role Played by Women(女性の役割の変化)についての記載を紹介しながら、考えてみたいと思います。
--------------------------------------------------- 女性の役割が制限されている中でも、何人かの女性たちは、貴重な奉仕をしておられました。Frances Beven姉は、讃美歌を書いた何人かの姉妹たちの一人ですし、そのほかの一人としては、Hannah K.Burlington姉(1842-1909)がおられます。Mary Yapp(1830-1911)姉(出版社を経営していたYappさんの奥さん。Yapp の名前は小冊子本の印刷技法のひとつである、Yapp折という技法に名前を残しています。)は、Leominster大会に並行して、女性のための聖書を読む会(婦人会)を主宰されましたし、類型論に関する本を書かれましたし、The Golden Lamp誌に寄稿もされています。Anne Evans(1820-1902)は、Bristolのベテスダ集会で1832年に最初にパンを割いた7人のうちの一人であり、Brimscombeに転居したのち、もっとも実りある働きの一人で、Stroud地方での最初の伝道集会を開いた。 --------------------------------------------------- こうやって見てみると、実は初期のころ、女性の働きは重要だった、ということを知ることができます。今で走る人々が少ないですが、関東でのリデルズさんとスピッチリさんと伝道出版社書店の店頭での働き、関西でのカーテンさんととろったさんの働き(主に京都)、等は特筆すべきかもしれません。 この前、飯田橋付近を歩いたのですが、以前、飯田橋にあった伝道出版社(ビルの谷間の2階建てくらいのかわいらしい社屋)はもうあとかたもなく、昔はここに伝道出版社がって、リデルズさんが店番しているときにお会いしたよなぁ、と懐かしく思い出してしまいました。確か、再開発事業かなんかの関係で、立ち退かれたのではなかったかと思います。詳しい経緯はわかりませんが、日本での伝道に関心をもっていた、英国貴族の爵位をもつ建設事業で成功された方が、土地の入手代金とビルの建築費のかなりの部分を拠出されたのではないか、と思います。 |
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Tim GrassのGathering to His Nameの中pp.181−182からブラザレン文化に関する部分、The Emergence of Settled Patterns of Assembly Life and Worship(集会生活と礼拝のパターンの成立)の中のThe Changing Role Played by Women(女性の役割の変化)についての記載を紹介しながら、考えてみたいと思います。
--------------------------------------------------- John Andersonという方が、次のような記述をしておられます。
John AndersonのAutobiography pp.21−22
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こういうのを見ていると、集会とみなすかどうかでかなり差別的な言辞が飛び交ったのではないか、と推測されます。あくまで推測なので、事実そうであったかどうかは別ですけれども。ただ、Grassが調べたところによると、このRhynie集会は、集会のリストにはないようです。事実上の絶縁状態(破門状態)だったようです。ある面でいうと、イングランドとスコットランドの非常に狭いビクトリア朝時代の時代背景が影響した女性に対する理解がこのようにさせ、そして、それが現在もなお続いているとするならば(そうでないことを希望しますし、大半のキリスト集会は、18世紀英国の歴史的時代の思想による縛りからは解かれているものと確信していますが)、非常に残念なことだなぁ、と思います。
個人的には、女性の適切な範囲での参加はあってしかるべきなのではないかなぁ、と思います。どう考えても、マリヤとマルタとラザロと家庭集会でほのぼのと、談笑しながら話しているイエスの姿があるように思うのですけども、それは私の聖書理解がひずんでいるのかもしれませんね。
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Tim GrassのGathering to His Nameの中p.181からブラザレン文化に関する部分、The Emergence of Settled Patterns of Assembly Life and Worship(集会生活と礼拝のパターンの成立)の中のThe Changing Role Played by Women(女性の役割の変化)についての記載を紹介しながら、考えてみたいと思います。
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さまざまなことが落ち着いていく中で、スコットランドの集会群は、教派間を連結するような(超教派的)なリバイバル運動から離脱するようになり、教理的な正しさに対する意識がより強くなり、集会の教理が重視される傾向が生み出されていった。女性が公式な場で語ることを許すことは次第に進められないようになり、その後、そのことに関する疑問が口にされるようになるとほぼ同時に、問答無用のような形で、女性が語ることが認められなくなっていった。集会生活の基本原理として新約聖書が理解されるようになり、女性が語ることがなくなり、第1コリント14章33-36節、第1テモテ2章8節がその根拠として語られた。ごく少数の集会(AberdeenshireのRhynie)は女性が前に立って説教することを許したが、1880年代には、そのことに関する緊張が走ったことが記録されている。
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以前紹介したことがあるかもしれませんが、ある本の中で、女性信徒が前に立って福音を語るのではなく、家庭集会のような場で福音を語ることについて禁止されていることについて、ある年配の男性信徒が、のちになって、ミリアムは預言したし、モーセにさえ苦情を言った(後で、ひどい目にあったとはいえ)、アンナは預言したし、ハンナはエリと話していることを考えると、女性の発言があったほうがよいかもしれない、と言い出したのを聞いて、もっと早くそのことに気付いてほしかったという記載があります。
こういう記述を見ていると、女性が前に立って話すことを認めるかどうかは別として、望む人々には、もっとオープンな発言する機会があってもよいのではないかなぁ、と思います。女性を掃除やお茶のサービス、日曜学校の先生だけに限定する必要性はないと思うんですけどねぇ。それだけに縛らなければならない、聖書的根拠はないように思いますけど、それは私の理解が足らないからでしょう。
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Tim GrassのGathering to His Nameの中p.181からブラザレン文化に関する部分、The Emergence of Settled Patterns of Assembly Life and Worship(集会生活と礼拝のパターンの成立)の中のThe Changing Role Played by Women(女性の役割の変化)についての記載を紹介しながら、考えてみたいと思います。 今日からしばらく新しいテーマです。 --------------------------------------------------- 1860年代と1870年代におけるスコットランドのブラザレン運動において、非常に目立った役割を話した数名の女性がおり、これらの女性たちは、より広い英国のリバイバル派のネットワークの中で、重要な役割を果たしている。Larkhall集会が設立される以前、何人かの女性は1859年のリバイバルの中で、回心し、大勢の人々の前で日曜日の夕方聖書の話をしていた。明らかに、このことは例外的であるが。当時の社会的、そして集会における規範(基準)からの乖離は、いくつかの点から説明された。例外的な時代には、例外的な手段が必要であるとか、ヨエル2章の中で預言され、ペンテコステのときに見られた女性の預言とみられるのと同様であるとか、この働きのために神から明らかに能力を与えられた女性であるとか、リバイバル時期の実際性の典型的な表現として、非常に多くの人々が好奇心をもって、教会堂を埋めているとかなどである。ときには、女性信徒が、学び会で前に立って奉仕することもあり、そのことは、集会での生活の中で、特筆すべき出来事の一つともなった。 --------------------------------------------------- 女性信徒の働きの問題は、F.F.Bruceの立場を困難にさせたことの一つですが、歴史的には存在したこと、それが容認されていたことを考えると、ブラザレン派における自派の歴史に関しても歴史的に無知であることが、彼を苦しめた、とも言えそうです。 個人的には、あまり問題ないと思うのですが、極端な場合、男性信徒がいる前では祈れなかったり、いかなることでも全く発言をすることが許されない場合もあるようです。こんな場合は、いきすぎかなぁ、と思います。このように公式の発言が認められなくなると、実は、非公式の方法に頼って公式の問題に影響を及ぼす場合もあるので、この場合、問題は深刻化します。 ここに書いたように、キリスト集会を日本において自称するグループでは、婦人が前で語ったり、ある程度代表となるような場合は、極めて稀ですが、日本のキリスト教界における女性の働きの重要性は、もっと深くそして、正当に評価されるべきなのではないか、ということを思います。 九州におられたD橋姉や、京都におられたK井姉、東京におられた、Riddelsさんやスピッチリさん、京都におられたカーテンさんとトロッタさん等は、極めて重要な働きをされておられたと思います。 |




