ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

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連結型(閉鎖型)ブラザレンとは、国教会、及び他の教会のあり方が間違っており、その間違った教会との関係を絶ち、真の信者がブラザレンの集会(教会)に結集することが、神の前に正しい方法であり、それ以外のあり方はないと主張したグループです。

この議論の代表的な論者に、ダービーやWigramなどがいます。

このグループは、外部が間違っていると主張し、国教会及び他の教会との交わりを一切絶ち、自分たちの中だけでの交流をする形を標準としていきます。そのことから、閉鎖型ブラザレンと呼ばれることがあります。


なぜ、連結型と呼ばれるかというと、イギリスでは、ロンドンにあり、後にニューヨークに移転した中心的な役割を果たした集会を中心として、緩やかに連結していると自らの教会(集会)間関係を表現したから、連結型ブラザレンと呼ばれました。しかし、この連結が他グループに属しないもには、誤っている部分を含んでおり、問題であるという他の教会及び集会に対して、批判的な立場、その交わりを立つような立場をとりましたので、閉鎖型ブラザレンと呼ばれます。

この連結型(閉鎖型)ブラザレンでは、自分たちの関係ある教会(集会)の信者しか、聖餐式への参加を認めません。その点も、閉鎖的なので、閉鎖型ブラザレンと呼ばれます。

ブラザレンは、聖書に忠実であろうとするあまり、細かな点についても聖書理解に立った上で、判断しようとするために、細かな点についての神学論争に発展し、結局それが原因で分裂しやすいという、特徴を持っています。本来、キリスト者についての一致(Christian Unity)を求めて、始まった運動であるにもかかわらず、運動が始まって30年以内に初めての大きな分裂が始まります。

それが、他の信者の受け入れをどのように考えるのか、というキリスト者の一致への理解の違いで、グロービス及びジョージ・ミューラー、クレイクを中心としたグループと、ダービーを中心としたグループに分裂することになります。
この分裂は、千年王国に関する預言の理解の違いによる分裂という理解もありますが、どちらかというとそれは口実であって、

ジョージ・ミューラーを中心としたグループは、他の教会の信者の受け入れを容認する立場、
ダービーを中心としたグループは、他の教会の信者からの厳密な分離を重視する立場、

の違いがもっとも大きな違いになって行きます。

独立型ブラザレンは、単立の教会(集会)として、かなり独立した動きをしていきます。
また、ここの集会(教会)が独立して神に仕えることを考えるので、共通的な要素というのは、逐語霊感説と聖書に関する忠実性、毎週の聖餐式、完全に水に浸す形のバプテスマなど、後は、三位一体などプロテスタントの共通的な神学理解などといった点に限られます。

ブラザレンは、聖書に純粋に従う運動として、福音を積極的に伝えて生きました。

福音派の神学者と、かなり交流があったようです。
Roger N. Shuff(2007)
Searching for the True Church: Brethren and Evangelicals in Mid-Twentieth-Century England (Studies in Evangelical History and Thought)
によると、D.M.ロイドジョンズは、リバイバルへの関心からこの運動に積極的に観察していたようですし、J.I.Packerもこの運動に関心をもってみていたようです。おそらく、大学での福音宣教活動IVFとの関係で、この運動と交差していくようです。
Roger N. Shuff(2007)によれば、IVFには独立型(開放型)ブラザレンのメンバーが積極的に関与したようです。

個人的には、あの語り口調や、基本的なスタンスがあまり好きになれないのですが、イギリスの独立型(開放型)ブラザレンは、TV伝道者のはしりとも言うべきビリーグラハムの伝道集会の準備に積極的に関与したようです。

また、戦後は、独立型(開放型)ブラザレンの一部では、拡声器を載せた街宣車での福音活動(迷惑だという批判も受けたようです)やら、不良少年を対象とした福音宣教活動をしたようです。

ブラザレンと預言(3)

ブラザレンと預言は密接な関係がある、ということをお話してきましたが、預言への興味は、ブラザレンだけのものではなく、当時のキリスト教会一般に広く普及した関心であったことは、以前もお話したとおりです。

ブラザレンは、艱難前再臨説に立つ信者さんが多いのですが、これは普遍化できることではありません。艱難後再臨説に立つ信者さんもおられます。それは人それぞれです。

また、このグループの代表的な論客(指導者というよりは、論客、著述家)であったダービーは、ディスペンセーション説(天啓史観とか時代区分説と呼ばれます)を生み出しました。

基本的に、ディスペンセーション説は、今は恵みの時、といった聖書の表現に基づきながら、過去様々な時代を聖書の関連で区分して、それにしたがって、歴史を見ていく特徴があります。
このブログは、終末論のブログではないので、深入りはしたくありませんが、あくまで聖書の中に記述された対象について、時代を区分していきます。(個人的には無理があるかな、と思っています。だって、マヤや南米の歴史、あるいは日本の歴史をどう考えるのか、ということに関してこの説は無力です。)

で、このディスペンセーション説の特徴は何でしょう。それは歴史展開が直線的なところにあります。

このことについて、Callahan, J. M.(1996) Primitivist Pietyでは、

As we shall see, the Brethren were well aware of history, historical progression (they called it Divine providence) and the constraints of historical circumstances which mitigated against any attempt to restore the circumstances of the church of apostolic days. In this sense, the Brethren held a linear view of history, rather than cyclic one.(p186)


後に見るように、ブラザレンの人々は、歴史について、歴史の進行(ブラザレンが呼ぶところの神の配慮)、歴史的な条件、とりわけ使徒時代の教会の状況へ戻すための努力を無にするような歴史的条件があることに気付いていた。この意味で、ブラザレンは、歴史は繰り返されるというよりは、(訳者注:後戻りができないという意味で)直線的な歴史観を持っていた。

同書の中で、次のような文章も見られます。

James Harris reminded his reader that the problem with each successive dispensation rested upon human failure. But human failure in the dispensation of the church can not be reversed or remedied.(p198)

ジェームスハリス(ブラザレンの雑誌 Christian Witnessの初代編集長)は、彼の読者に、それぞれの連続する時代区分の問題は、人間の失敗によるものであることを思い起こさせた。しかし、教会時代の人間の失敗は、それを逆行して正すことができないと主張した。

その意味で、この歴史観は、マルクス史観や進化論的な歴史観と非常に親和性の高いものです。マルクス史観も、直線性の強い歴史観ですし、進化論も、ある一方向に向かって進化しているという意味で、非常に強い歴史性をもった仮説(あるいは信仰)です。

意識しているか、していないかは別として、このディスペンセーション説は、マルクス史観とどうようの思想的背景の影響の下生まれてきたような気がします。

どなたか、このような指摘をしている方をご存知でしたら、ご教示ください。

ただ、時代的には、ばっちり符合するのですね。
マルクスが資本論の基礎を考え始めたのが、1840年代。
ダーウィンが進化論の最初の書物を書いたのが、1859年。

近代哲学史はまともに勉強したことがないのですが、多分、時代の雰囲気がこうさせたのだと思います。その意味でも、ブラザレンは時代の申し子だったと言えましょう。

マルクス主義歴史学は、時代の経過とともに、どんどんよくなるというのがその基本線。

ディスペンセイション説では、人間がどんどん堕落するので、悪くなるが、最終的に神が地上に王国を作るので、最終的にはよくなる、というのがその基本線。

歴史の段階論、線形的な展開の点では似てはいても、結果随分違ってくるのですね。

石濱義則さんが話してくださった、お話の中で、最も印象的なお話の一つが、第二次世界大戦の前に、イエスキリストを述べ伝えることによって、逮捕された話です。

イギリスのブラザレンも、日本のブラザレンも、第二次世界大戦以前のもっともポピュラーな伝道方法は、路傍伝道とか、街頭演説でした。

今のようにメディアが普及し、よしあしは別として、Power for Living見たいにテレビコマーシャルを打てるわけでもなし、また、新聞などのメディアが限られ、それへの広告が資金的にも、制度的にも非常にやりにくい時代、何もなくてもできる伝道方法、それが、路傍伝道だったわけです。

昔は、失業者も何もすることがなく、街頭に仕事がないかたむろしていた時代ですし、家にラジオがあるのは限られた家だけ、娯楽自体も少ないとなると、路傍で話をしているだけで人が面白いように集まったようです。

社会自体ものんきなので、路傍伝道していると、集まってきたようです。少なくとも、イギリスでは、失業者が道にあふれていた時代、路傍伝道は有効なツールであったということが、Roger N. Shuff(2007)
Searching for the True Church: Brethren and Evangelicals in Mid-Twentieth-Century England (Studies in Evangelical History and Thought) に出てきます。

同じような話は、
Neil Dickson (2003)Brethren in Scotland 1838-2000 にも出てきます。

石濱さんは、人通りが多い新開地、陸軍関係の軍神とされていた楠正成を主祭神とする湊川神社の前、市営路面電車のターミナルのあった神戸駅前などで、主に街頭演説をしていたようです。

戦争が始まっても、そして、翼賛的な社会制度となっても、自ら信じるところにしたがって聖書とそこに示される神の話をずっとされておられたようです。その中で、特別高等警察(いわゆる特高)に目をつけられ、特に、神社批判、天皇を神とする翼賛的な社会のあり方の批判をする中で、逮捕され、留置場に収監されます。
記憶によれば、湊川神社で天皇制批判、現人神の批判をしたようです。1回目は特高も見逃したようですが、2回目は、確信犯ということで、2回目の批判の後、逮捕されます。

この続きは近日中に。

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