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日本でも、1970年代後半に一種の預言に関する熱狂的な動きが見られました。1970年代または1980年代に再臨があるのかもしれないという雰囲気が高まりました。
この背景には、イスラエルの建国、イスラエルと周辺諸国の戦争、東西冷戦の政治環境、核の恐怖、ドルの暴落(本当に200円台から一気に100円台前半までいきましたから)、ベトナム戦争の終結、狂乱物価、オイルショック、まぁ、いろんなことが起きましたから、着実に社会自体が悪いほうに変わっているという雰囲気が集会内でも蔓延しました。
その中で、宇野正美さんという方が、非常に独自の視点で現実に起きている社会政治現象と旧約聖書の預言とをすり合わせていく(あるいは独自の理解で、(個人的には、危うい論理構成で)関係付けていく)独自の解釈をする動きが高まりました。宇野さんは現在は、トンでも本の作者として非常にご高名ですが、どうも経営者層の耳に麗しいことをお話になさる、あるいは、将来のことを非常に単純化して、明らかになったような気にさせる一種の技術に非常に長けておられるので(個人的には、そんなに単純じゃないし、独自の考え方のような気がするけれども、どうなんだろう。そんなにユダヤユダヤといわなくても、もっとほかに考えるべきことあるんじゃないの、という感じがしますが、まぁ、誰がどう時代をどのように読み解こうと、コンスピラシーセオリーで読み解こうと、それはそれでひとつの考え方でしかないと思いますし、いくらそれがトンでも本の世界でも、自分の考えを述べることは尊重されるべきではないか、と思います。私には、宇野さんの解釈や世界での出来事の理解の方法論とそこから得られる結果は、トンでも本の世界に見えますが。真理というのは対話によるしかあきらかにされず、徐々に、そして緩やかにしかあきらかにされない、というポストモダン人としては、真理真理って社会現象の解読に聖書の理解を歪曲化しないで、という感じがしますが)、現在も、経営者層、いわゆる自分たちがエリートと信じきっている人たちの間(たとえば、青年会議所とか商工会議所関連、青年経営者教会といった感じの組織)で講演会を開催しておられるようです。それはそれ、ビジネスのあり方としてはひとつだと思いますが。
実は、この宇野正美さんという方は、大阪のあるブラザレンのグループで熱心に奉仕しておられた方でした。今は、丹波地方にお住まいのようですが。一時期は、ブラザレンの教会(集会)で宇野さんの考えが席巻し、預言を語らない伝道者あるいは教会の責任者は、教会の責任者として問題がある、というような雰囲気すら生まれました。一時期は、物凄い熱狂的雰囲気で各地の教会(キリスト集会)が競って招いていました。
いまは、その極端な聖書解釈から、次第に各地の教会(キリスト集会)は、非常に距離を置いています。というよりか、正確には、無視、拒絶、否認しているといってよい状態だと思います。多分、個人的なつながりはあっても、教会(キリスト集会)単位で、お付き合いしている教会(キリスト集会)はないんじゃないでしょうか。確かに、聖書を基礎にしていらっしゃるとはおっしゃっておられますが、基本的な福音を語るツールとして預言解釈があったはずなのに、それが目的化してしまったことにより悲劇が生じたのかな、と思います。私が、もしそういう立場だったら、そうならない保証がないので、困った事だなぁ、と思います。
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