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昨日、ニュースステーションを見ていたら、神道系カルト教団「紀元会」の報道のなかで、キャスターと呼ばれている古館伊知郎さんが、カルトというべきところを、原理主義、といっていた。
宗教的知識がないんだから、しょうがないといえばしょうがないんだけれども、知識がないんだったら、コメントするのはお控えになれば、という思いを持ちました。多分、イスラム原理主義の過激な行動との類似性で、原理主義、という言葉を口走ったのだろうけれども、あの集団は、現教祖の言動におそらく従っただけで、教義の原理に従おうとしたということではないので、厳密には原理主義とはいえないんだけどなぁ、と思ってしまった。この伝で、結構いい加減なコメントが多いので、最近ニュースがつまらなくなってしまったように思う。コメンテータと呼ばれるおじさんもキャスターと呼ばれる人の言動を、たしなめることをしない、というテレビに無知がはびこる一瞬だったようにおもいます。テレビはもともと娯楽品だと思えば、よいとは言うものの。世間的に影響力が大きく、第三の権力を自負するのなら、リサーチ不足かなぁ、とつい思ってしまいました。報道機関は第三の権力かもしれないが、それは十分なリサーチあって、責任ある言動あっての第3の権力。無知を自らさらけ出すようであれば、テレビ原理主義、あるいは報道原理主義者という意味での原理主義者の批判を受けても仕方ないのかなぁ、と思ってします。自らを戒めることの重要性を再確認した次第です。
ところで、原理主義の語源になった、キリスト教原理主義は、カルトとは確かにつながりやすいものの、カルトとキリスト教原理主義は厳密に区別すべきで、原理主義は、
経典の無謬主義、宗教の周辺化に対する反論、選択的教義の適応、千年王国主義(将来への恐怖と期待)、選民意識、明確な境界線意識、権威的な組織構造、厳格な行動規範
によって特徴付けられる(小島・中田・手島 原理主義から世界の動きが見える PHP選書)ということから考えると、今回事件を起こした宗教法人は、原理主義ではない、といえます。確かに、権威主義的な組織行動と、明確な境界線意識、選民意識の部分では、ちょっと原理主義の一部を有していますが。
カルトは、人格支配し、人間の自然なあり方を捨てさせ、ある特定の思考法に染めあげ、人間の権利を宗教の名の下に奪う反社会的行為だと思う。たしかに、ブラザレンの中に、ちょっとカルト風の集会(教会)も全くないわけではないけれども、カルト風ではあっても、人格支配にまでは陥ってはいないので、純粋な意味でのカルトにはなりえないといえるでしょう。確かに、ブラザレンは、原理主義に非常に強い影響を与えたのですし、千年王国の理解で恐怖心があおられた人々がいたことも確かであり、その意味で、ブラザレンの中にカルト風の集団になりやすい要因というのはあるのですが、全体としては、カルトとはいえないように思っています。
少なくとも、暴力行為に及んだということはないにせよ、人格的支配に近い行為を行ったTaylor Brethrenのようなグループも、Exclusive Brethren(連結型ないし閉鎖型ブラザレンの一部)にあったのは確かです。日本のブラザレンは、基本的にはオープンブラザレン(独立型、あるいは開放型ブラザレン)が主流であることから考えても、その影響は限界的なものであったように思っています。
個人的には、この運動がもっていた福音という注視すべき内容、語り合う心、他者に関する愛を考えるとき、全てのブレズレンの信者の方々が原理主義的な考えから脱出すること、カルト化しないことを真に願っていますし、個人的には、そのように神に祈っています。
なお、念のため申し添えますが、ブラザレンの集会(教会)の全部が全部、原理主義者ではありませんし、カルト風ではありません。大半は、健全だといってよいと思います。
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