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アリスター・E・マクグラスの「ポストモダン世界のキリスト教」の中に面白い記述がありました。
『多くのピューリタン共同体は、自分たちを「山の上の町」と見ていますが、その関心はその文化に届くよりも彼らの排他性を守ることにあるように思われます。』(稲垣久和 訳 教文館)50ページ
という表現が出てきます。この表現は示唆的です。ブラザレンは、福音の伝道に熱心ではありましたが、その反面、聖書を純粋に求めていこうとするあまり、できるだけ高い「山の上の町」になろうとしたという可能性がないわけではないと思います。
確かに、高いところにある「山の上の町」は誰からも見えますが、しかし、誰からも見えるというものの「山の上の町」はそこにたどり着くのが大変、そこにたどり着くのは限られた人々である、という側面があるように思います。その意味で、高いところ(純粋性を極めるということ)を目指すことで、意図することなく、排他性を強くしていった側面はないとはいえない、と思います。
ただ、「山の上の町」は、独立性が強く、あるいは孤立性が強くなってしまうため、自分たちがいる場所が下がっているのか、あるいは違った方向に行こうとしているのかの見極めが難しく、特に、霧の中におかれることもまったくないわけではないので、このあたりの舵取りが、教会(集会)の責任者に求められることになるので、教会(集会)の責任者の役割は大きい感じがします。
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