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歴史的に見てみると、ブラザレンの初期の指導者、ブラザレンの拡大に非常に寄与したJ.N.ダービーがキリスト教原理主義の成立に大きな影響を与えたことは、あるいは、キリスト教原理主義の形成に大きな役割を果たしたことは、歴史的な事実として認識されるべきことだと思います。ブラザレンの人々は認めないと思います。なぜなら、自分たちは、ただ単に聖書に忠実に歩んでいるだけであり、それが与える影響というのか、自分たち以外のキリスト教の世界とのかかわりということに関しては、あまり関心がないからです。
その意味で、非常に精神の内面というか、霊的世界の内面にこもりやすい(言い方を変えるならば、ブラザレンという霊的集団に、神学的な意味で引きこもりをしている)部分があるように思います。もちろん、例外の方もたくさん居られますが。
私個人としては、18世紀以降の啓蒙時代に発生した一種の信仰運動、つまり、十字架にもどれ、十字架を述べ伝えている聖書の世界にもどれ、という意味で、非常に重要な価値を持った運動であると思います。言い過ぎかもしれませんが、18世紀における教会改革運動であり、その精神自体は、ルターや、カルバン、ツィングリ、スフといったそれ以前の宗教改革者と言うよりは、教会改革者と同じ役割を果たそうとした、というところにあると思います。その教会改革精神自体は重要でしたが、やり方があまりに教条的で、というか、頑固で、あるいは、知恵がないというのか、子供っぽいというのか、青年の理想主義の故の暴走というのか、評価はさまざまでしょうが、改革に取り組もうとした方法自体に、成熟がなかったということでしょう。
これからのブラザレンを支えていく皆さんには、知識と知性、成熟した方法論で、そして、広くキリスト教世界に目を向けると同時に、自分自身のあり方にも、冷徹な批判意識を持って(聖書的にいえば、へりくだりの精神を持って)、神の前に自分たちのあり方を考えるということをしていってほしいし、自分自身そのようなあり方を維持したいと思う今日この頃です。
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