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石浜義則さんは、1970年前後にイスラエルにいかれます。どういう経緯だったかは分かりませんが、イスラエルに旅行されたようです。(この記事は、私の記憶間違いによるものです。ご親族の方からの証言から、いかれていないことが分かりました。謹んで訂正します。ご親族の方の情報提供ありがとうございました。)娘さんに当たる、現在作家をしておられる石浜ミカルさんが、学生のときにイスラエルのキブツ(イスラエルの集団農場)で生活しておられたかもしれません。
そこにいって、ユダヤ教の世界の現物を実際に体験されて、イスラエル人がどのような環境でどのような生活をしているのかに触れられたようです。覚えている話しといえば、死海の水がやたらと塩からかったこと、塩の柱が立っていたこと、ヨルダン川が本当に幅の狭い小川のような川であったこと、それから、現地のステーキが血抜きをしている為にぱさぱさでまずかったこと、安息日になりそうになるとタクシーが大慌てで目的地に向かって仕事を終えようとするようなこと、なんかをお話になっておられました。
(石濱ミカルさんと直接お会いし、より詳細かつ具体的な情報提供を受けましたので、情報を修正します。これは、石濱義則さんが、当時イスラエルに滞在しておられた石濱ミカルさんからのお話や写真、8mmフィルムなどを元にお話してくださったことを、伝聞情報だ、おはなしされた部分が記憶から抜け落ちてしまったために起きた問題のようです。謹んで訂正いたします。しかし、なにぶん25年以上前の記憶なもので、確かでないことが多くなっています。申し訳ありません。)
個人的に石浜ミカルさんとは面識がないので、なんともいいがたいのですが、1970年時代に戦争をあちこちと抱えているイスラエルに旅行者なのか、留学なのかは詳しく分かりませんが、滞在すること自体チャレンジャーですし、今のバックパッカーの走りだったのかもしれません。よく分かりませんが。
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