|
石濱さんは、神戸に戻って新開地の付近みたいなところで、歯医者さんをしていたのですが、歯医者だらけの真ん中で、開業したモンですから、お客がきません。そこで、歯医者の材料屋さんに相談したところ、兵庫区の和田岬なら、お客がいるし、歯医者が少ないと聞いて、心機一転、兵庫区の金平町というところで、バス停だったか市電の停留所ののまん前に開業します。(ここも遺族の方からの情報提供から、修正を行っています。情報提供ありがとうございました。)
とは言え、戦争中は、広島にある政府系の施設に収容されており、収入源がなかったこと、勤務医しているとはいえ、食うや食わずの生活、さらに、神戸への移転でそれも、飴屋さんをしていた戦前からの患者さん>(ここも遺族の方からの情報提供から、修正を行っています。情報提供ありがとうございました。)先輩の歯科医にお金を借りて、の一家そろっての引越し、現金がほぼない状態です。
石濱さんは、英語がしゃべれるということで、教会関連の英会話を兼ねた聖書研究会の福音伝道で、当時協力していたパルモアさん(ただしくは、関西学院大学のスミス教授と3人くらいの方が石濱支援ファンドをご用意されてというのが正しいそうです。ここも遺族の方からの情報提供から、修正を行っています。情報提供ありがとうございました。)からお金を借りて、歯医者としての営業をすることにします。ここでも、お金を借りて、開業します。石濱さんは、歯科医師免許を取り独立したてのころ、親族からお金を借りて1回戦前に開業します。このときも、お金がなくて、開業できないとあきらめ、でも、神様、助けてくださいと祈ったら、親戚からお金が来たという経験をしておられることを話してくれていました。「神様、助けてください、開業するお金がありません。」と祈っておられた、真剣に祈ったということを話してくれたあと、だから、祈るということは大事だ、ということを随分話してもらいました。
戦後すぐ、神戸に移転するためにお金を借りて2回目に神戸で開業し、最後に、3回目、パルモアさんたち(ただしくは、関西学院大学のスミス教授と3人くらいの方が石濱支援ファンドをご用意されてというのが正しいそうです。ご遺族の方からの情報提供がありました。ありがとうございます。)というクリスチャンに助けられて開業します。
この金平町の自宅が、戦後の石濱さんの活動拠点となります。そして、神戸集会での活動を始めるための基礎となります。
|