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この2者の間に、そう大きな違いはありません。もともと、平信徒による信仰復興運動として始まったところから、出発しているので、非常によく似ています。
独立型ブラザレンでも、連接型ブラザレンのような服装、髪型、礼拝のあり方などの、形式論にこだわるところもありますし、かなり自由な考え方にたつところもあります。これは、もうそれぞれです。
ただし、連接型ブラザレンの場合、中心となる役割を果たす集会(教会)の考え方の影響が強いので、そこまで独自の動きというのはありえません。その意味で、一定程度のまとまりはあります。
イギリスでも、アメリカでもそうですが、ブラザレンは底流に共通する部分を持つので、その部分を基礎に交流が可能ですし、それぞれの考え方を尊重するということで、公におかしいとか、その考えはいかがなものか、というようなことはよっぽどのことがない限り、言いません。事実、かなりの交流がみられます。
集会(教会)のあり方についての異論がある場合、連接型ブラザレンに属して影響力のある方の場合、公の場で、おかしいとおっしゃる方も居られること、あるいは学びと称する中で、個人的見解を個人的見解として述べられる場合も、あるいは聖書からの真理として個人的見解を述べられる場合も、いずれの場合もあります。
これまでにご紹介してきた、CoadのA History of the Brethren MovementのP200によれば、戦前に日本に入ったグループが連接型ブラザレンであり、出版社を営んだ、と書いてありますから、おそらく、これは、ライトさんたちのグループのことを示しており、同信会のグループのことでないと思いますから、日本のブラザレンは、連接型ブラザレンの影響を強く受けることになります。
ただ、戦後、さまざまなブラザレンのグループが、日本に宣教師として海外から入ってこられる中で、もともと教理として、細かなところ意外に大きな差がないこれらの方々が関係を持っていかれる中で、これらの違いを明白に意識しない形、あるいは明白に意識させない形でブラザレン運動を形作っていきました。これが、現在の日本の集会のあり方を非常にわかりにくくさせているように思います。ひとつの集会をとっても、連接型ブラザレン的な運営方針に従っている部分と、独立型ブラザレン的な運営方針に従っている部分とがあります。ある集会(教会)にずっといる人たちは、そんなもんだ、と思っているので、特に異論はないと思いますが、他の集会(教会)に仕事の関係で移籍する、あるいは訪問するときに、なんとなく落ち着かない気持ちになることがあることが少なくないのは確かです。
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