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私は、英国史の専門家ではありませんが、ブラザレン運動を研究すればするほど、英国史の理解が欠かせないような気がします。
この書庫では、ブラザレン発展の側面から英国史を見直してみたいと思います。
ブラザレン自体、以前にも紹介したように、英国の国教会の分離運動のひとつとして、生まれたことはそのとおりだと思います。
で、この運動は、イングランドからは出なかったであろう、と思うのです。イングランドにとっては、国家制度と一体化した国教会制度について、問題を感じる場合があっても、それは限られているでしょうし、特段、何か大きな矛盾を感じるということは少ないでしょうから。
Kirk(The Church of Scotland 改革派)の力の強い、スコットランドからも生まれることは無理だっただろうと、おもうのです。もともと、スコットランドは、非カトリック的な教理を持つグループが強く、カトリック的なにおいの強い国教会とは違うグループに属しているという意識があったでしょうから。
となると、イギリス連合王国のなかで、一風変わった意識を持つのはどこか。ウェールズか、アイルランドとなります。
そう、イギリスは連合王国なんですね。イングランド、ウェールズ、スコットランド、アイルランドという本来別々の王様が治めていた国からなる連合王国だけれども、そのうちイングランドの王家であったところが結婚やらいろんな手法を使って結局なんとなく収めることになっている国だったりするんです。
ウェールズ人は、誇り高い民族ですが、また、ウェールズ独自の言語もかなり残しているとはいうものの、その統治者は、名目的には、Prince of Wales(イギリス皇太子)ですし、イギリス併合の歴史もそこそこ長いので、イングランド化が進んでます。イングランドとの境に、丘陵地帯がありますが、それは、丘でしかなく、イングランドとの実質的融和が進んでいると、いってよろしいと思います。武装勢力による独立運動はほとんどありませんし。
(この辺のウェールズ人の悲哀は、『ウェールズの山』原題 The Englishman Who Went Up a Hill But Came Down a Mountain というヒュー・グラントが出演している映画に良く現れています。この映画は、地理学や測地学に関する映画としても面白い映画です。)
となると、アイルランドです。大英帝国、あるいは連合王国の一部を構成しながら、イングランドに対するものすごい反発心の強い地域というか、国ですね。
ブラザレン運動の出発点は、この反発心と無縁ではいられません。
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