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ここのところ、石濱シナヨさんの記事ばかりが続いたので、本編がおろそかになってしまいました。ぼちぼち復帰という事で。
ブラザレン自身、伝道のためのハイテク利用は早くから取り組んできましたが、ライフスタイル自体は結構伝統的であることが続いてきました。
私が、小学生くらいの頃、テレビで娯楽番組を見ることは、信者は避けるべき、という雰囲気が漂っていました。高校生くらいの頃には、信者が映画館で、映画を見ることはいかがなものか、という雰囲気も漂っていたことも確かです。
大学生になって、映画館に始めて一人で行ったとき、なんかいけないことをしているような後ろめたい気持ちになったことをいまだに覚えています。今ではそんなことは、私に関してはほとんどありません。テレビで娯楽番組を見るし、映画も結構、私は、見に行っています。
まぁ、もちろん、全ての映画や娯楽番組が見てよかった、というようなものではないのも確かです。特に、吹き替え版で見ないで、英語でスラングがわかるようになると、聞くに堪えない英語の連続、ということもあるので、その辺が困りモンです。また、スリラーなどのデモニッシュな表現や、暴力的な表現、性的な表現があまりに当たり前だったりするので、その辺もあるので、避けられてきたのだろうと思います。
Nozzomさんに紹介していただいたSon of Rambow というイギリスの映画には、映画を見ることが許されていない、1980年代の連接型ブラザレンまたは閉鎖型ブラザレン(エクスクルーシブ・ブラザレン)の家庭の子供がランボーを見て、ハチャメチャするお話のように、映画を避けることは、日本のブラザレンでも当たり前のように言われていたような気がします。
ちなみに、Nozzomさんのブラザレン研究のサイト(http://www.geocities.jp/nozzon0602/index.htm)は、日本で最も早くブラザレンに関する情報提供サイトとして運営されておられるもので、大変参考になります。ご参考までに。
テレビの娯楽番組でも、ドリフターズの番組にしても、ひょうきん族にしても、結構キワモノ的な表現があったので、避けるような方向性が志向されたのだろうと思います。
アメリカの映画の場合、PGの区分けがかなり細かく別れているので、それを参考にできるのですが、日本では、映倫の審査でその辺がいい加減なので、見てみないとわからない、ということはたくさんあります。
その意味で、映画も見ない、娯楽番組も見ない、見るのは某国営放送だけ、というスタイルは、世間的な標準からすれば、すごくまじめで、堅苦しく、気難しい人たちに見える、ということはあるのかもしれません。
とはいえ、全ての信者が映画も見ず、娯楽番組も見ず、堅苦しい生活を守っているわけではありません。でも、一部には、純朴に、朴訥とした信仰のスタイルをお持ちの方々も居られるとは存じます。それはそれで、重要なことですし、そういう純朴な雰囲気がお好きな方も世間には一定数おられますので、そのあり方はあり方で重要だと思います。
私は、どちらかというと、ゆるく、より大勢おられる一般の普通の人たちの視線を大切にし、その人たちに訴えかける信仰のスタイルを目指したいとは、思っています。
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