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なんか『信条』や『信仰告白』という余談に行ってしまいましたが、ここらで本論に。基本、使徒信条かそれに類する信条や信仰告白の丸暗記ではなく、その信条の実質的な部分と同じような聖書理解に達していて、キリスト集会(教会)への参加意欲、キリストを知りたいという意欲に満ちた方で、身体的な不都合がない方が『バプテスマを受けたい』といわれれば、それを聞いた信者は、直接本人に『○○さん(長老とか責任者と呼ばれる方)にバプテスマの意思をお話して見られたら』と話したり、本人が、ちょっと気恥ずかしそうにしておられる場合には、責任者(長老とか執事という役職名がある場合もある)に報告し、『△△さんは、バプテスマ受けたい希望があるようですが』と伝えることになります。
この段階で責任者と複数名の男性信徒による信仰確認ということがおこなわれることが多いようです。また、イギリスで用いられているアルファコースみたいな学習会が開かれたり、バプテスマの準備クラスと称して、『使徒信条』の内容をかなり噛み砕いた内容と、今後の信仰生活のあり方に関するガイダンスを含めたような学習会の様なものを開いておられるキリスト集会もあると認識しています。もちろん、そんな学習会のようなものがないところもあります。それは、そのキリスト集会の文化、伝統、経験、人的資源、聖書理解などが総合的に影響した結果のようです。
また、バプテスマの準備クラスみたいなものがある教会でも、ある程度興味がありそうな人をそのバプテスマクラスに誘って、バプテスマの希望確認をするような場合もあれば、バプテスマの希望確認があって、バプテスマ準備クラスにいたり、もう一度最後にバプテスマの希望確認についてお話を伺うようなケースもあり、そのあたり、状況依存的です。まぁ、余命いくばくもない方が信者になりたい場合などは、悠長にバプテスマ教室をしているわけにもいかないこともあるので、その辺臨機応変に対応がされているようです。
だいたい、使徒時代なんかは、バプテスマまで、すごい時間短い訳ですから、柔軟に対応するのは当たり前、ということは言えそうです。この辺の自由さというのか融通無碍さは、ある面、誤解を生みかねない部分があるので、責任者の方は神経を使っておられるようです。
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