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で、一応、これらが終わって、いよいよ儀式としてのバプテスマに進むとしましょう。このパブテスマですが、これは完全に水に浸す形のバプテスマを行います。服装は、それぞれですが、白のワイシャツに白いズボンなどを自分で用意してね、とお願いしされる場合もありますし、それぞれのキリスト集会(教会)備え付けの専用のバプテスマのための服装(病衣みたいなものや浴衣のようなもの)がある場合もあります。これは、もう、それぞれの教会ごとに違います。
バプテスマが行われる場所ですが、昔は野外が良いとされていたようですが(根拠は、多分ヨルダン川でバプテスマのヨハネが授けていたから?)、天候不順なことや、適切な野外での場所がない場合、都市部での海水や河川の水質汚染や周囲の奇異の目を引くことなどもあるので、土地と建物を持っているキリスト集会の場合、専用のバプテスマ槽が床下に設置されていることが多いです。意外とこのバプテスマの場所探し、というのは都市部のキリスト集会では、頭の痛い問題です。
専用のバブテスマ槽を持っていないところでは、海岸でする場合や、河川でする場合もありますが、そこまでのロジスティクスが大変な場合、朝早く営業後の風呂屋を借り切るたりする場合などがあります。しかし、最近はこの風呂屋が減って。
私が立ち会ったかぎりでは、河川、海岸、お風呂屋さんがメジャーだったかな。私は経験がありませんが、下手をすると個人宅のお風呂場、と言うのもあるかもしれません。
バプテスマの元になった言葉が、バプティゾ、というギリシア語であることから、完全に水につけるのが、聖書的という理解が普及しているようです。個人的には、完全につけることのできない病人(気管支に穴を開けていた私の父がそうでしたが)の方の場合、バプテスマなし、という場合もあるようです。
そういう意味で言うと、バプテスマというのは、信仰告白の分かりやすい儀式、あるいは形による信仰告白の表現でしかないので、あまり形式にこだわっても仕方のない部分があるというのが個人的な見解です。
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