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献金額の公開(週単位であれ、月単位であれ)について、公表するところと公表しないところがあります。これもその集会の伝統や過去の経緯によってどのような態度となるかが決まります。公表すること、しないことのどちらが聖書的かということはいえないように思います。それこそ、教会(集会)の自治にゆだねられている範囲だろうと思います。ただ、私個人としては、信者さんへの情報公開と会計の不正の防止の観点から、公開することが望ましいと思っています。会計の不正、というのはめったに起こりませんが、めったに起こらないからといって、起こらないということではないので、会計責任者への不必要なプレッシャーを回避するためにも、原則公開、ということが望ましいと思います。
イギリスのブラザレンでも、キリスト集会の会計帳簿そのものがなかったキリスト集会に税務当局(内国歳入庁)の査察が入り、会計書類を出せといわれたけれども、そんなものがそもそも存在せず、どんぶり勘定で運営していたスコットランドのキリスト教会の話が、Neil DicksonのBrethren in Scottlandにでてくるくらい、わりと会計に無頓着というところはあるように思います。
この種のどんぶり勘定的な運営は、もともと、少人数で運営する形の家庭集会から出発した集会(キリスト集会)が多く、多額の会堂運営に関する資金が必要でなかったこと(つまり自宅を一時的に開放した教会運営をしてきたこと)、また、この運動の出発点に重要な役割を果たした、アンソニー ノリス グローブスがどこからの支援も無しに神から必要なものは与えられるはずだという確信に基づき、冒険的な海外伝道活動に従事したこと、さらに、その影響を受けたジョージ・ミューラーとクレイクの孤児院運営がなされたこと、それに習う形で教会運営がなされたことなどの伝統に依拠すると思います。この「必要なもの(資金)は神が与えるはずである」という思想は、ウォッチマン・ニーなんかにも強く影響していきます。
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