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実は、信徒のキリスト集会のあり方に対する「配慮」あるいは、キリスト集会の信徒に対する「配慮」ということは、それぞれの教会運営に大きく影響し、伝統ができている場合もあります。しかし、この「配慮」やその結果できあがった『伝統』はキリスト集会(教会)かなり幅があります。その重要度の程度は、教会ごとに異なります。この配慮というのは、結果として出来上がった伝統は、結婚意識だけについてあるのではなく、かなり広範な行動パターンについてあるように私は思います。
個人的にはあくまでも、信徒のキリスト集会のあり方について、あるいはキリスト集会のその構成員に対する「配慮」といったものは、本当に「配慮」やその結果出来上がった「伝統」でしかないと思いますが、長らく同じ集団で過ごしていると、それまでに行われた歴史的な経緯やその中での工夫が、一種のルール化されていき、もともとは、「配慮」や「伝統」であったものが、時間の経過とともに一種の「ルール」になっていく事例は少なくありません。これは、どのような集団でも起こる問題であり、会社などの企業や、ボランティア団体、教会でももちろん起こりうる問題です。
ブラザレンは、本質的に「配慮」から始まったとはいえ実質的な「ルール」になってしまった教会の伝統と呼ばれるもの(伝統的に維持されてきた方法論や様式性:特にカトリックの伝統とイギリス国教会の伝統)に強く反発して、独自の運動としてそのような、ルールや様式性を否定するために自分たちの活動を始めたのですが、知らず知らずのうちに自分たちの中での伝統(ルールや様式性)を作ってしまい(それも、個別のそれぞれのキリスト集会ごとの)、それに若干縛られている方々もお見受けすることがあることは、個人的には残念でなりません。
本題の結婚意識に戻しましょう。たとえば、前回も書きましたが、基本的には、同じキリスト集会(キリスト教会)の信者同士の結婚がもっともスムーズである、という現実があることは確かです。これは間違いないことです。しかし、これが一歩間違うと、「同じキリスト集会(ブラザレンという比較的類似性の高い信徒グループ)に属する信者同士の結婚がスムーズだった」が「同じきりスト集会に属する信者同士で結婚するのが良い」とか、「同じキリスト集会内(同一の場所で聖餐式を一緒に行っている信者グループ内)での結婚が良い」と言う概念になっているような雰囲気があるキリスト集会(キリスト教会)の信者さんがおられる場合も、全くないわけではありません。
これがさらに進むと、「同じキリスト集会(ブラザレンという比較的類似性の高い信徒グループ)に属する信者同士の結婚でなければならない」、という誤解にも発展しかねません。「配慮」からでたこととはいえ、聖書はそこまで踏み込んだ表現をしていない、と個人的には思うのですが。
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