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キリスト者同士での婚姻が良いとされ、キリスト者とキリスト者以外(ノンクリスチャン)との結婚があった場合、一定期間とはいえ、公式の信者としての権利の停止(集会活動への参加の停止という、いかに外部の人から見て権利と思えないものであっても、信者にとっては重要な権利の停止)がある場合、これは、その権利の停止を決定するほうにしてみれば、逆に重たい責任を負う、ということを意味するわけです。
つまり、結婚を希望する信徒に対しては、責任者が知っている集会または教会からキリスト者である相手となる信徒を探しだし、結婚を希望する信徒に相手を紹介するという一種の道義的な「義務」を背負うことになるからです。それこそ、四方八方人脈を通じて、結婚相手探しをお願いすることになります。それも、人間関係のあるところを通じて探しますし、また、人的交流が行われているようなお互いの聖書理解の近い集会または教会を中心に探していきますから、相手を探すのに苦労することが多いのもまた事実です。この辺の苦労も、石濱義則著「私が歩んだ道、イエスキリスト」に書いてあります。
また、最近の自由恋愛が良いとする若い人々の恋愛観がキリスト集会の信者にも、微妙な影響を与えていると思います。若い人々の恋愛観は、小さないのちを守る会の水谷さんという牧師さんのブログ「命と性の日記〜日々是命、日々是性の2007年12月13日前後の
「恋愛を捨てて結婚に挑もう」http://blog.chiisana.org/?day=20071212
または、2008年1月28日前後の「結婚したけりゃ、努力せーよ!」
http://blog.chiisana.org/?day=20080128
がわかりやすい解説になっていると思います。もちろん、キリスト集会の若者も、現代社会を生きている若者ですから、現代の若者の恋愛観は、キリスト集会の中にも少なからず影響を及ぼしているのは当然といってよいでしょう。そのような恋愛至上主義の若者が多い環境では、女性信徒に男性信徒を(男性信徒に女性信徒を)紹介するのもなかなか慎重な配慮が求められることになります。恋愛至上主義の若者文化の中では、伝統的なお見合い形式からスタートして、結婚に向けて一緒に進みましょう、となられるカップルは少なかったりします。
なので、この辺の結婚相手探しを、適齢期の信者さんを抱えたキリスト集会の責任者の方々はこの結婚相手を探す「道義的」責任(あくまで、責任者の意識という意味での責任感からの責任)を負うことになります。「結婚したいですが、相手をさがしてほしい・・・」という信徒の漠然とした意向を察知した教会の責任者は、まず、自分の集会の中で適切な信者の有無を確認し、そのような信者がいる場合はその信者の意向を確認しながら、声をかけるかどうかを考えることになります。もし、年齢的な面やその他のその方の性格的な側面で適切な方がその集会内にいない場合、その信者の個人的な信者間のネットワークを活用しながら、探していくことになります。
さらに、従来の日本社会の場合、お見合い結婚というのが普通にあったのですが、今はその数自体が減っていることもあり、なかなか、こういう形での結婚の進め方が難しくなっています。
それに加えて、一般社会では、合コンという、実質的には恋愛の要素を振りまぶした集団的お見合いであるとはいうものの、一種擬似的な自由恋愛の形を取りたがる結婚適齢期の方が増えてきたため(ねるとん紅鯨団以降はこの傾向が強まったように思います)、非常に難しい側面がでてきていることも確かです。
このお見合いのような形での結婚候補者の推薦ということを、責任者による結婚の『押し付け』と曲解される場合もでてきかねないんじゃないかなぁ、と危惧しています。この辺、実に結婚や恋愛ということに関しては、若者文化の影響を強く受ける時代になっている分だけ、そういう若者がクリスチャンに一定程度おられてもおかしくないと思うのです。単に一候補として推薦しているだけでも、長老から言われたので、断ってはいけないのでは、と自己規制してしまわれる方や、お断りしてはいけないのでは、と思っておられる方もおられるかもしれません。あまり乗り気がしないときには、「乗り気がしません」とはっきりお伝えしたほうが良い、と思います。個人的には。
責任者の方からすれば、結婚したいという漠然としたお申し出があったので、適切と思われる方を一生懸命お探ししになられ、「検討されて見ませんか」というつもりでお話になっている場合が多いとは思うのですが、それを「責任者に押し付けられた」と誤解しかねない方もごくまれにはいらっしゃるかもしれない、ということを想定しない考えらないといけない時代になりつつあるのではないかと思います。また、それを深く考えもせずに受け入れてしまい、後になって苦情を言われても、責任者としては、当惑されることになるでしょう。
また、「○○さんとお付き合いしたいと思うのですが、相手の意向を聞いていただけませんか・・・」ということをお願いする信者もおられると思います。これは、責任者にとって、話が早いです。ただ、この場合、話が早い場合と、やはり、相手があるので、別のお話が先行している場合や様々な事情から、結婚ということを考えておられないことなどもあり、話に時間がかかる場合があることもあるようです。
キリスト集会の責任者の方にとって、世間的な晩婚化傾向に加え、信者の意識の変化もあり、結婚について責任の重要性と困難性が増大する時代となってきたようにも思います。
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