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で、愚痴ともつかぬご相談した第1世代のクリスチャン(クリスチャン
1世)が、私が2世クリスチャンで、劇的な信仰の経験がないことについ
て話してくれたことがあります。
「私は、あなたたち2世がうらやましい。」一瞬、わが耳を疑いました。
お話をよく聞いてみると、「あなたたち2世には信仰に無理がない。信仰と
信仰に基づきあふれ出てくる行動そのものが自然なのがうらやましい。」
といわれました。個人的には、「これはこれは」という目からうろこの経
験でした。1世は1世で、劇的な信仰はあるものの、それ以前の生活との慣
性(慣れや当然のように染み付いてしまった思考経路)との戦いがあり、
生まれたときから(あるいは自我が完全に形成される以前の段階から)ク
リスチャンホームで育っている2世たちには理解できないものがあるようで
す。それを聞いたとき、『1世には2世に分からない苦労があるものなんだ
なぁ』と素直な感想を持った記憶があります。
それと、言われたのは、『2世以降の信者には、神の身近さと聖書の知識
の豊かさがあり、1世はそれにどうしても追いつけない』ということでした。
門前の小僧ではありませんが、日曜学校から大人の集会まで、十数年かけて、
聖書知識を知ることとなり、聖書に関する知識は、かなりのものが蓄積され
ます。これは、非常に大きな資産だ、というのです。何の気なしに聞いた聖
書の言葉がぽんぽん出てくる(聖書の箇所はいえないとしても)というのは、
第1世代のクリスチャンにはうらやましいことのようです。これも、そのよ
うなものかなぁ、と思いました。
2世信者は、いろんな話を聞いていることが多いこと、知識がどうしても
豊富である場合が多いので、聖書のお話についても、若干うるさいところが
あるのは否めないように思います。まぁ、クリスチャンホームには、とりあ
えずは一種生きている聖書辞書としても機能する親に当たる信者がいるとい
うことにおっている部分は大きい、とは思います。
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