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ブラザレン運動は、「神を求める敬虔な信者が純粋に
神を求めるためのイエスを中心とした教会を作ろう。教
会のための信者ではなくて」が出発点であったように思
います。
ブラザレンの教会(集会)でも、時々、「信者なら奉
仕するのが当たり前、奉仕しない信者は、問題がある」
と思い込んでおられる一部の信者の方がおられるところ
がつらいところですが。
奉仕は、ささげもの。神から与えられたものから、そ
のごく一部しか返せないけど、神に自主的に返したいと
思って返すもの。与えられていないものを無理やり吐き
出させるものではないはず。そんなことを思う私は、ち
ょっといい加減な信者なのかも知れない、と思うものの、
ないものは出せないし、人それぞれ与えられているもの
は同じじゃないんだから、と思ったりします。
奉仕も、献金も結局、同信会(日本の諸集会とは独立
に始まったブラントさんというイギリス人エクスクルー
シブブラザレンの伝道によって生まれたキリスト集会と
ほぼ同じ信仰スタイルを持つキリスト集会)の週報復刻
版
http://www3.point.ne.jp/~doushin/SHUHOU/SHUHOU2.html#P9
http://www3.point.ne.jp/~doushin/SHUHOU/SHUHOU2.html#P11
のなかで、かいておられるように、集会は収奪するもの
で満たされるのではなくて、「あふれ」であってもらい
たいもの、と最近強く感じます。あふれるためには、神
の恵みを受け止める心、神の前に向いた心がまず重要で
すが。「あふれ」の強要は、「あふれ」ではなく神の名
を用いた「収奪」だと私は個人的には思います。神は、
与えられる方であり、収奪される方ではないと思ってい
ます。
しかし、同信会さんのサイトを見る限り、同信会さん
でも、地方集会では、高齢化が進んでいるようです。高
齢化がすすんで行き、高齢者が独立してご自身お一人で
の移動が困難になった時、コミュニオンをどう考えるか、
ということは、これから高齢化が進み行くであろう諸集
会としてどう考えるのか、ということはひとつの大きな
課題と思います。ロスアンゼルスの北側の地域では、
オープンブラザレン系のキリスト集会(教会)のいくつ
かがすでに高齢化の信仰と、若年の信者がいなくなった
結果、維持できなくなって、閉鎖された後、近所の類似
性の高い他のキリスト教会に移籍されたことが実際に発
生したとお聞きしたので、伝道を進めていくと同時に、
他のキリスト者の信仰とそのスタイルも尊重しつつ、他
のキリスト者の方々と幅広く、フランクな関係のありか
たを構築していくことも、重要だと思います。(石濱さ
んの自伝や雲の如くを読んでいると、鉄道関係者への伝
道グループとの関係が見え隠れするなど、結構広範なお
付き合いがあったことが分かるので、日本でのブラザレ
ン活動も、もともとは他のキリスト者のグループとかな
りフランクな関係が構築できており、今のようにかなり
孤立的な立場ではなかったような印象を受けます。事実
を指摘しているだけで、石濱さんを理想化したり、過度
に重要視しているわけではありません。一応念のため。)
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